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★★食生活★★

○ 常食 manghad, meals

レミニア人の食生活は質素で、これは社會階級の上下を問いません。暖めていない料理でも平氣で食べてしまいます。

【粥と麺麭】kach k pan, soup and bread

主食は大麥と他の材料をごった煮にした粥です。粥と云うより、野菜と肉が椀に山盛りとなった間に麥團子のようなものが詰込まれている熱い煮轉しだと思う方がより實態に迫っています。最近は豊富に食肉産業が發達して新鮮な肉を大量に使うようになったので、味は格段に良くなっています。ためしに、てじかの料理店に入って注文してみると、深い大皿に山盛のごった煮が出てきます。ひどく熱く、おまけに胡椒・生姜をはじめピリピリした香辛料を使っているらしく、火傷しそうです。大匙の一口ごとに野菜か肉のぶつ切りが載ってきます。粥(カーチ)ないしスープ、またはシチューと云う名前になっていますが、水氣は餘りありません。hav kach は一般に「スープを飲む」と譯されますが、實は「スープを食べる」と云う方が正確であると思われます。ひと椀でお腹がくちくなり、たっぷり榮養を摂った幸福な氣分にさせる食べ物です。

  肉軆勞働をする時は力をつける為に自家製の堅い種なし黒麺麭が附きます。裕福になると麺麭種を使った小麥の柔らかい白麺麭を食べる機會が増えますが、これは老人・病人の療養用か、客人の饗應用です。

  副食は大昔は肉ではなく乳酪(チーズ)でした。今でも正餐のデザートとして料理の末尾に數種類のチーズが必ずでてきます。レミニア人の先祖は遊牧民だったので、家畜は食用ではなく、この乳酪を取る為に飼っていました。家畜が斃死すると已む無く解軆して、その肉はおろか骨・毛皮まで餘すところなく加工して利用しました。それが長年尽くしてくれた家畜への礼儀だとされていました。肉は保存の利く燻製にするのが常で、高級品として扱われました。しかし外國から侵入してきた狩獵民や移民が齎した肉食の習慣が影響して、中世よりこのかた食肉用の家畜を飼う事が盛んとなりました。ことに外國人傭兵を大量に使用した為、これら野蛮人どもには肉を食べさせないと叛亂が起きると云うので、軍隊では肉料理が盛んに出てきます。海軍は牛肉の提供が募兵条件のひとつとなっている程です。
  これに加え近世になって飢饉の際に、じゃが芋・蕎麥・豆・玉蜀黍を植えて麥の代用にした為、レミニア料理として有名な野菜と肉のごった煮が生まれました。黒麺麭にも、これらの代用野菜と木の實を混ぜて増量したので營養の均衡がとれて、住民は營養失調が原因の脚氣や壊血病になることはありませんでした。味付けは香草と塩・酢だけの素朴なものですが、煮物なので美味な出汁を悉く摂取でき、不満は聞こえません。

【農夫の食事】

  レミニアの食生活は基本的に農夫の食事習慣に沿ってできており、食事回數が1日に5回もあるのは、農作業の必要に合わせてあるからです。起き抜けに麺麭を食べ、水を呑みます。裕福な家では熱い茶を淹れます。野良に出てひと働きすると、10時頃にまた麺麭を食べ、温めた昨日の粥(スープ)を呑みます。晝まで働いてから、ゆっくり晝食をとり、この時には麺麭に脂身を塗ったり、野菜や果實を挟んだり、搾り立ての獸乳をクリームにしたり、多少の贅澤をします。勿論、昨日の残りに新たに材料を加えて煮た熱い粥(というか「ごった煮」)は缺かせません。水で10倍くらいに割った果實酒や氣の抜けた水みたいな麥酒を少し呑み、眞晝の強い陽射を避けて1〜2時間の午睡を摂ります。涼しくなった頃に再び働き出し、日没前に家に歸ってきて、夕食を摂ります。麺麭に獸乳入り茶など極く簡單なもので濟ませ、すぐに炉邊の粥の大鍋を温める火の灯りを頼りに夜なべ仕事にかかり、寝る前には鍋の粥を椀に一杯くらい食べて夜食とします。寒いときには寝酒に湯ないし茶で割った強い火酒(蒸留酒)を引っ掛けることもあります。
  この習慣は古代から續いていて、農村以外でも5回の食事は省略される事はありません。工場でも兵營でも、なんらかの形で食事と午睡の時間を設けています。
  主食は麺麭ですが、地元で獲れる穀物なら何でもかんでも材料にしてしまいます。麥、米、薯、豆、玉蜀黍はもとより、木の實、果實、花、野草、骨粉と、凡そ食べられるものは麺麭や團子にしてしまいます。混ぜるものにより、色が違いますが、だいたいは灰色から黒をしているので「黒麺麭」と呼ばれます。おまけに麺麭種を使わないので、食べ易いとは云えません。麺麭には塩をふったり、脂身を塗ったり、野菜や果實をつけあわせて、味をつけます。黒麺麭は自家の竈で10日分くらいを纏めて焼いておくので、段々に堅くなって、最後は粥やスープに入れて食べます。農作業は重勞働なので、農夫一人で食事ごとに黒麺麭を一斤は食べてしまいます。
  小麥だけで造った混ぜ物無し麺麭(白麺麭)は高級品とされており、御馳走のひとつに數えられています。それも麺麭種で柔らかく焼き上げたものは麺麭職人の專賣特許となっています。
  不思議な事に副食は粥(ごった煮スープ)の他には殆ど無く、肉も滅多に食べません。家畜は乳や卵を搾るために飼っており、貴重品なので、已むを得ず屠殺した場合は、革から骨に至るまで餘す所無く加工してしまい、肉は塩漬の腸詰や燻製の形で保存して、越冬の際にチビチビと食べます。中世の豚は、越冬前になると十分な飼料を與える餘裕が無いので、種豚を残して他は屠殺し食肉に加工してしまいました。近世になると渡来の馬鈴薯を栽培できるようになり、豚の餌にも用いたので、飼える數も増え、豚は農家に普及しました。
  粥は古代から中世にかけては、大量の麥や豆を煮込んだもので、大抵の人はこれだけを食べて生きていました。その後、麺麭を食べるようになり、粥には獸乳、野菜、その他餘り物を混ぜ合わせて、榮養を補給するというふうに變化しました。海岸・湖沼地方では魚介類が、山森地方では野禽・野獣の肉がスープ鍋の中に加わり、それぞれ名物となっています。
粥を煮る鍋は洗うと云うことが無く、水と材料を継ぎ足していくだけで、食べる前に大杓子でよく掻き混ぜるのはそのためです。

スープ
スープ
麺麭焼
麺麭焼
自家製麺麭
麺麭 麺麭
野良での食事
麺麭2

【商人の食事】

  店番があるので、商人の食事時間と回數は變則になっています。空腹を覚えた時が食事時間です。店の奥に引っ込んで、ほんの數分間で麺麭と飲物を摂り、あるいは粥を掻きこみます。立った儘、皿を手に持って食事を濟ませるのも特技のひとつです。1日に朝晩の2食が基本で、これに適當に間食を加えていくと云う柔軟な食事形態で、農家とは全く違う形です。
  小店で人手の足りないところや、店の無い呼び賣商人は、外食が主で、そういう需要に應えて、屋臺や簡易な食堂が街角で早朝から大鍋の湯氣を立てています。瓣當も賈っていて、便利です。
  夜になっても、どこかしらで食堂が開いていて、街を巡回して粥や麺麭を賈る移動屋臺もたくさんあります。

【紳士の食事】

  自身がもともと農民なので、その食事形式を踏襲しており、1日5回の食事を省略する事はありません。食器は専ら陶磁器、杯は硝子、匙・ナイフ・フォークは金属の彫刻模様入りで、木製品は使いません。お客があれば日頃から磨いてある銀の食器を使います。これはお客を大事に扱っているというしるしですが、同時にその家の富裕と傳統をお客に見せる為でもあります。洗いたての清潔なテーブル・クロス、ナプキンは必需品です。一日のうち晝ないし夜に正餐を摂り、一家中ができるだけ盛装して、ひとつの大食卓を囲み、コースにのっとて會話を樂しみながら御飯を食べます。この一家中には家庭教師や劒術の先生、秘書、奥方の御話相手など、血縁ではないにしても、家族同様に扱われている「友人」たちが含まれています。コースは一般に食前酒・前菜・肉汁(コンソメ)・粥(スープ)・肉料理・口直し(魚介)・乳酪・菓子・果物・食後酒または珈琲及び煙草(別室を用意)の順となっています。その他の食事は質素で、朝は起きぬけに茹卵1箇・砂糖牛乳入り茶・焼き白麺麭(バターないしジャム付)を摂り、晝前には菓子か果物少々と茶、晝には粥と茶、午睡明けには果物ないし菓子と茶、晩には正餐、が普通で、その家の習慣ないしお客の都合で正餐と晝食が入換ったりします。5回の食事の他、就寝前に好物を輕く摘まんだり飲物を摂ることがあります。招いたり招かれたりという社交のための宴會が多く、大量の肉や菓子を摂り必要以上に飲酒するので、油断すると肥満を招き、痛風や中風、心臓病などに悩まされる人が多くあります。

兎パイの作り方

【兵士の食事】

  食事回數は1日5回が確保されていますが、そのうち10時と4時の間食は砂糖を添えた小ぶりの麺麭と茶がでるだけの簡素なものです。しかし朝晝晩の食事では肉と野菜(或いは豆類)がたっぷり支給されます。軍隊のおかげで生まれて初めて三度三度肉を食べたと云う新兵が殆どです。除隊してもとの地方生活に戻ると、麺麭と粥だけの食事が如何にも味氣なく、もっと肉を食わせろと我儘を云う者も珍しくありません。
  ところが、このような軍隊食は19世紀に徴兵制の國民皆兵軍隊ができてから定められたものです。それ以前は志願兵による軍隊で、聯隊によって食事内容は様々でした。大抵は日に2回しか食事が支給されず、煉瓦大の麺麭と、豆のごった煮が主で、肉は滅多に食べられませんでした。(そこにいくと海軍はたとえ塩漬であっても肉を定量支給することを条件に募兵していました。)陸軍の志願兵と云っても、他に行き場所のない浮浪者や無宿者が募兵掛の甘言につられて入隊してくるため、中隊は世の中の落伍者の吹溜りでした。中には自分の年齢すら定かでない者もおり、明らかに60歳に近い老人や、10代の子供も混じっており、戸籍もないので本人の申告をそのまま採用して入隊させるしかありません。外國人や犯罪者も大勢混じっており、當時の軍隊は員數さえ揃えば素性などお構いなしの荒っぽいところだったのです。逃亡すれば笞打や重營倉(戰地敵前では銃殺)が待っていました。そういう兵卒どもが日に2回の劣悪な食事を支給され兵舎もろくにない駐屯地で野營同然の天幕暮らしをしていました。貧しい食事でも兵隊にとっては最大の樂しみのひとつだったので、支給が滞ると忽ち隊内は不穏となり、ついには叛亂が起きました。このため中隊長は兵隊どもが、ちゃんと食べているかどうか、味付はどうか、わざわざ炊事場に出向いて食事の味見をし、支給の有様を監視しなければなりませんでした。その習慣は今でも残っています。
  戰争になると兵隊どもは勇んで戰場に赴きましたが、その目的は占領地の略奪にあって、中隊ごとに地元の食料を根こそぎ押収してしまい貯め込みました。目ぼしい家があれば押入って、抵抗する者は殺傷し、女子供には亂暴狼藉を働き、金品を奪い、家畜を食べてしまい、さらには住人を連行して奴隷商人に売渡して蓄財しました。このようにかっての傭兵軍隊を動かしていたものは食欲と性欲と物欲でした。この間の戰争(1928-30)でも舊東方帝國軍の傭兵部隊が東部戰線で行った略奪行為が生々しく記憶されています。現在も邊境での匪賊や武装先住民との戰闘は、略奪・暴行・破壊・人身賣買を當然に伴っています。現在の國民皆兵主義の徴兵制レミニア軍ではそのようなことは無くなっていますが、やはり食料の乏しい外征部隊では何が起こるか分からないと云うのが軍幹部の本音であろうと思われます。  → top


○ 飲料 trinkaj, drink     → top

【水】akv, water

  食事ごとに麺麭を食べるので、必ず水を一緒に呑まないと喉が詰まります。甕や瓶に水を入れて野良に出るのですが、これに少量の獸乳や酒を混ぜて味をつける事もあります。水質の悪い地方では、水の代りに湯ざましか茶を飲みます。

【酒】spirit, strong drink

  果實や花辨、野草から蒸留して造った火酒が好まれます。非常に強いので、其の儘では喉を通らず、大抵は水や炭酸水で薄めて呑みます。或いは弱い麥酒と交互に呑みます。
  醸造酒は麥酒が一番安く、營養補給に最適です。アルコール度數は1%前後と非常に低く、大抵は樽に入っているので、氣が抜けていて子供でも飲める麥芽飲料というところです。瓶詰はアルコール度數も5〜10%と高く、そのぶん割高になっています。葡萄酒は高級品なので金持ちが嗜むものとされています。階層によって常用する酒の種類が違っており、下層階級は少量でよく効く火酒を専ら嗜み、中流階級以上は葡萄酒、それも堅實な中流の下は内地産の銘無し大瓶、中流の中は頑なに御贔屓名産地の銘入、資産家は高ければ何でもよい式の俗物趣味、上流階級は輸入もののシェリーやポートワインなど工夫のある高価な銘柄を好みます。例えばこれを海軍に当て嵌めると、下士卒には殖民地で造る安価なラム酒を配給し、准士官以上は私費で好みの火酒を(時には取って置きの葡萄酒)、艦長クラスは通常は葡萄酒を飲みます。陸軍ではどうかと云えば、下士卒は麥酒か火酒、准士官・尉官クラスは火酒かたまに葡萄酒、佐官以上は通常は葡萄酒と云うのが普通です。
  レミニアで特産の火酒は、farubit(朝顔の種が原料)、peril(紫蘇の葉が原料)、rosa(薔薇の花が原料)、pin(松の葉が原料)が有名です。


○ 嗜好品 gust, favourite     → top

【香料】spici, spice

  主食の粥は大昔は味附が無かったと思われています。その後、中世を通じて塩と酢に香草・大蒜・果實などで味附をするようになりました。近世に至り、胡椒や胡麻、辛子などの輸入香辛料が高級料理に使われるようになりました。現在では廉く入手出来るようになったので一般にも普及し、庶民の家庭料理ことに粥には胡椒が缺かせなくなりました。

【砂糖】suker, sugar

  中世では輸入に頼る非常な貴重品で、社交費に糸目を附けない王侯貴族しか使用しませんでした。香料の一種として宮廷料理に多用され、お城の食卓と云えば、砂糖と塩を混ぜた甘辛味が幅を利かせました。殊に白砂糖は珍重されて、精製専門の職人がいた程です。砂糖の藥効を説いた醫師の書物が持て囃され、藥として服用されもしました。その後、世界中の目敏い大商人が新大陸や南支那に次々と砂糖工場を設けて輸出に励んだので、大分廉価となりました。とは云え庶民の手が届くほど安くはなく、砂糖を使った家庭料理はまだ見受けられません。お茶や珈琲に砂糖を小匙に何杯も入れるのは、砂糖を貴重品と見ている舊時代の感覚を持つことを表す滑稽な仕草として小説などで多用されています。

【茶】te, tea

  茶は内地では餘り獲れないので、外地からの輸入品に頼っています。そのため割高です。貧乏人は茶葉を買ってくると、それを大鍋で煮て、家族中で色の出なくなるまで飲みます。それでだいたい一週間はもたせます。そのため悪徳商人は安物の茶葉に色素を混ぜて顧客を騙します。田舎ではいまだに香草や藥草を煎じて茶の代用にしているところもあります。

【珈琲】kafe, coffee

  外國でしか獲れないので、貴重品です。普通の家庭では滅多に見る事がありません。珈琲店か料理店ないし金持の家の正餐でお目にかかれます。軍隊では夜間行軍時に氣付藥の代わりに野戰炊爨車の大釜で煮立てた薄い珈琲に砂糖を混ぜて配給します。軍隊で初めて珈琲を飲んだと云う者が大半です。珈琲は喉の渇きを抑える云う藥効があるので、戰場の乏しい給水能力を補うため重寶されています。邊境の貧しい駐屯部隊では珈琲を買うだけの豫算が無いので、黒豆を煎って粉にした代用品を飲ませることがあります。

【菓子】konfekci, confectionery

  砂糖やカカオは高價なので菓子は普段は滅多に食べません。城館では領主が菓子職人を雇っており、宴會に自家製の菓子を供します。評判の良い菓子職人は獨立して自分の菓子店を開く事があります。自分で菓子職人を雇うほどではないが、接待に菓子が必要と云ふ資産家がお客になります。また倶樂部や珈琲店、ホテルなどが菓子職人を置くことがあります。
  庶民は普段は50日に1回ほど焼菓子を食べられればよい程度です。農場主や地主が開く宴會に出掛けて行って、御馳走になるのです。高價な砂糖を節約して蜂蜜を使ったものが多くみられます。農村の子供は野原に生えている野生の熟れた果實や甘い草汁、森の樹液を採って代用にします。都會の子供は駄賃をためて駄菓子を買いますが、それも月に數度が限度です。そのため蟲歯が少なく歯醫者さんも餘り儲かりません。

【煙草】fumaj, tobacco

  中世末に新大陸から輸入されていた煙草は主に藥として使われていました。現在でも喘息患者用の藥用煙草が市販されています。その後だんだんと香りを樂しむ嗜好品として扱われるようになり、女性用の薄荷煙草がよく賣れるようになりました。金持ちの家に行くと饗應のひとつとして果物盆の横に高價な輸入紙巻煙草を銀皿に山盛にして客間に置いてあったりします。喫煙が習慣となって、煙を吸わないと頭が動かないと云う口實のもとに、終日パイプを離さない人もいます。近世に至って國内でも煙草の栽培が始まり、庶民にも國産品が普及しましたが、やはり粉煙草や葉巻は輸入ものには勝てません。
煙草には内務省の統制によって等級が附けられており、紙巻でもすぐに燃えて無くなってしまう勞働者・兵隊向けのものから、吸口に金紙の附いた香りの良い高級品まで揃っていて、何を吸っているか銘柄を見ただけで懐具合が判るとされています。煙管用の粉煙草、嗅煙草、噛煙草と、いろいろあります。煙草は専賣特許なので、値段が決っており、その製造と販賣も財務省主税局の特許状を持たないといけません。街角には必ず煙草屋があり、退役准士官に限り開業の權利を買うことが出来ます。
  レミニア産の銘柄には、紙巻では、安價な brulig fein(魔女の焚火)、中級品の kameli(椿)、高級品の egiptuy(埃及)、粉煙草では、甘味の chir(葛)、辛口の marbord(渚)、嗅煙草では leopard(豹)、噛煙草では ebenay(平原)があります。


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