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聨合共和國の國體は地主貴族寡頭制です。

【淵源】
もともと遊牧民であったレミニア人は、有力騎士が郎黨を率い自分の氏族の占有する土地・水源等の權益を保護しておりましたが、大陸を南下して他族を支配下に収め、自らも征服地に定住して農耕生活に移ってからは、郎黨に土地を分け與え、それら地主から上納される貢物で城を築き兵糧を集積して防衛態勢を整えていました。地主はそれぞれ農夫や職人に地所を貸して地代を徴収し、それを以て暮しを立て武装をしました。一人の騎士の下(もと)に約10人程度の地主兼戰士が主從の絆を結んでおり、何れも姻戚關係にありました。戰時には騎士のもとに武装した地主が家来や農兵を率いて集合し陣立を編成しました。規模は20歳代の男子から成る1箇大隊(1000人)程度になりました。
地方の騎士が聨合して頭領を選び、その指揮のもとに邦領を運營しました。邦領が聨合して國家を形成し、近隣異民族との戰争に備えて重歩兵軍團が組織されると、その兵士に地主の子弟や武装できる資産を有する自由民が徴募され、また無産の平民も甲冑の無い弓矢・遊撃部隊兵士として志願し、蛮地に遠征しては領土を擴げました。軍團は占領地に駐屯して守備に任じましたが、幹部は退役すると其處の土地を無償分與してもらい新たな騎士領を設けました。その他の退役兵士は新騎士の勧誘に應じて臣從を誓い地主や農場主、職人商人として入植しました。やがて地方制度が整備されると有力騎士に稱號が與えられ、貴族の位階が出来上がりました。戰功著しい騎士は男爵、郡部の頭領は子爵、縣の頭領は伯爵、地方の頭領は侯爵、邦領の頭領は公爵、國家の君主は大公爵と云う具合です。無爵の騎士は家柄の古さや功績によって、騎士、準騎士、郷士などの稱號に分けられ、豪商や富農が開拓・寄附等により國家に多大な貢献を行った場合にも、準男爵(新田開發者)や勲爵士の稱號を與えられ、前者は領地新設を認められました。斯の様にして貴族階級が形成されました。
貴族は長い間の經緯により複雑な臣從關係を結んでおり、一人が複數の主君を持つ事も珍しくありません。臣下は主君に對し金銭物資を貢献し、定められた軍役を請負いました。その主君は自らより有力な貴族に臣從・貢献しており、その有力貴族はまた更に上級の諸侯に臣從・貢献しています。こうして臣從の絆を傳って上納され集まってきた富は國家の體裁と防備を整える為に國庫に収められました。

【君主權の制限】
時代が進み、國家の大頭領は王や皇帝を自稱して専制を敷くようになりましたが、やはり有力大貴族の意向を顧慮して貴族會議を主催し、大方の意見を謹聴する姿勢を取らざるを得ませんでした。さもなくば叛亂内亂が起きて國が大いに亂れ隣接諸國の干渉を招く仕儀に陥る惧れがあったからです。そもそも王や皇帝は元を糾せば、推挙されて其の地位を得た一人の騎士に過ぎないのでありますから、他の騎士仲間の意見を尊重するに吝(やぶさ)かではありません。王位皇位の繼承は其れを繼ぐにふさわしいと認められいる諸大公爵家の當主を候補者に擬して貴族會議が選挙しました。當選した大公爵は就任に當り誓約書に署名して國家元首としての義務遵守を宣誓しなければなりませんでした。是れに拠って若(も)し元首が専横の振舞を為した時には貴族會議により糾彈され罷免となるのでした。元首の能力が衰え政務に耐へなくなると貴族會議は退位を要求し再び新元首の選定に當りました。時代が進み政府の規模が大きくなると元首は宰相に政務を任せる事が多くなり、宰相は更に自らが選定した有能者を諸大臣に政務を分擔させ、内閣制度が生まれました。

【傳統墨守】
斯くの如くして現在の聨合共和國の政體は國家元首を貴族會議たる貴族院が選出しています。元首の任期は終身ないし本人が引退を表明する迄です。元首が退位すると諸大公爵の中から新たな元首が選挙されます。元首は聨合共和國の象徴であって實際の國家運營は元首を輔弼する内閣總理大臣(宰相)が行っています。宰相は元首が指名するのですが、貴族院及庶民院の多數黨主が候補者として挙げられる慣習となっています。元首が其れを無視して恣意的に首相その他の閣僚を指名する事も出来ますが、首相就任には議會両院の賛同を得ないといけないので、政黨が議會に占める勢力圖を無視した超然組閣は先ず議場で否決されてしまいます。
宰相は諸大臣を選んで元首の承認を得て組閣します。陸相と海相(海軍本部長)は軍人でなくともなれます。就任と同時に臨時の陸軍大将乃至海軍大将に任官します。慣例上、軍人が就任しますが現役豫後備役退役を問いません。現役軍人が就任する時は在任期間中は豫備役となり、任を退くと同時に現役に復歸します。

【寡頭制】
全國の土地は國有地を除き貴族に分有されています。貴族の領地はその臣下たる地主に賃貸され、地主は自作農に土地を賃貸して生活しています。土地の利用は法律で規定されており、地所の譲渡は禁止、用途制限も厳しく、全國が定められた枠の中に固定された形になっています。市街も貴族の領地の一部であり地主の管理下に置かれています。
地主は其の義務として必ず町村會議員になります。縣會郡會市會には領主が必ず議員となります。此等の地方自治集會には平民階級の議員枠も多く用意されて居るので民衆の不満は聞かれません。有爵領主は揃って貴族院に議席を持っています。現在貴族院には274議席があります。貴族院と並立する庶民院は無爵領主・地主・平民から選出の議員で構成されますが、こちらの方が發言力強く、閣僚もここの多數黨派から出るので大きな政治力を持っています。法案も先ず庶民院に提出され、其の議決を貴族院で審査し、これを承認したり差戻したりする形になっています。両院の多數黨は貴族及地主層と資本家層が聨合した團體なので、貴族寡頭制とは云っても、實際は土地と資金を握る階層が國政を支配しているのが現状です。

【抑制装置】
議會の議決が行政に於いて實行される前に、樞密院の審査を通過しなければなりません。樞密顧問官には國務院總裁が兼任で加わっています。これは議會通過事項を再審査する目的があるからです。
國務院は國家元首に直属して、國家豫算・法令立案・官吏人事等を擔當する獨立官廳で政黨政治の監視役を以て自らを任じています。

【戰争の始め方、終り方】
戰争の開始は宰相が意思決定を擔います。宰相は主要閣僚、國務院總裁(樞密顧問官兼務)、陸海軍の代表が鳩首する戰争指導最高會議に於いて戰争計畫を檢討し、國家元首に開戰を進言します。國家元首の承認を得て宰相は臨時に招集した議會兩院に於いて説明を行い、宣戰布告を議決します。事此處に至れば樞密院審査も難なく通過します。
戰争の終結は其の開始と同じ意思決定過程を經ます。

【戰争と軍隊の理解】
現政權が戰争をどのように理解しているかと云えば、先ず外敵の侵入を排除する手段として必要であり、その為に十分な軍事力を常備する事が取りも直さず外敵の開戰意欲を大きく抑止するとされています。また國際間の諸問題は外交の手腕を揮い知謀を以て解決するのが先決でありますが、なお其れを以てしても著しく國益を損なう結果を招来すると判断する場合には最終手段として戰争を實行するも辞せずと云う決意を見せる事により有利な解決を来す事があります。戰争をすると國力は著しく疲弊し、もし負ければ國體の存續さえ危うくなるのですから、勝つか若しくは引分けに持込む必要があります。戰争は勝算が無ければ決して國際紛争の賢い解決策にはならず却って國の滅亡を来す事は政權擔當者が一番よく知っています。十分な情報を探って敵及國際情勢をよく掌握し、知謀を以て外交を行い、日頃から假想敵國に對する戰略戰術を練り大きく強い軍隊を維持するのは其の為です。若し開戰とならば其の準備として何時矛を収めるかの假目標を豫め決め、其の際に調停仲介の勞を依頼すべき中立國の候補を幾つか定めておくのが政軍共通の常識となっています。古代支那の兵術家孫子いわく「不戦而屈人之兵、善之善者也。故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵」(戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。故に上兵は謀をうち次は交をうち、次は兵をうつ。)開戰せずして國際間の駈引に勝つのが最上の國策なのです。
高度に政治的な手段のひとつとして緻密且つ冷静な判断の下に軍隊を動かし戰争を實施するのですから、苟も軍隊がその判断に容喙する事は決して許されず、ここに軍人の政治關與が禁止されている理由があります。然し政治指導者が誤った判断を行い國を滅亡に追込もうとする時は、軍が敢て其の武力を以て政府を轉覆する事態が生じる可能性が決して無いとは云えません。軍隊は國内最大にして唯一の公許武装組織(M.ウェーバーの云う「暴力装置」、古代支那兵學に云う「兵は凶器、戰は危事」)であるので、政權は十分に其の管理を行わなければなりません。
軍隊の地位を斯様な處に置いてあるのは歴史の教訓によります。嘗てレミニア人は北方から大陸を横断し南海岸アルジェントリアに達してメダルスカルト帝國を築いて繁榮を誇ったのですが、強力な軍隊によって周邊の弱小原住民を征服するうちに徐々に軍人の發言權が増大し政治に介入するようになりました。最初は其れで良かったのでしたが世代を經るに從い大陸の南端で強大な敵が居ない平和が續いて凡庸な才能しか育たなくなり、軍は傳統と形式、門閥を重んじる許りの存在に堕してしまいました。東方から突如越境して帝國領土内で生活を始めた蝗族に對し夜郎自大の軍人政權の選んだ途は戰争でありました。無能な外交陣は廣く國際勢力を観察理解して蝗族を牽制する策も近隣諸國との同盟策も取らず徒に蝗族を無視するのみであり、稚拙な指揮官に率いられた帝國軍は無謀にも蝗族の陣營を襲撃し暫定的な勝利を得ましたが、却って勢いを盛返した蝗軍は敵意に燃え大挙して逆襲を開始し帝國首都は落城、メダルスカルトは滅亡しました。帝國内に残った多くの民は奴隷となり、西方の山嶽地帯と北方の荒地に逃延びた人々により現在のレミニア聯合共和國が生まれたのでした。斯様にして國を滅ぼした祖先の例を反省し其の後の政治機構は形作られ、軍隊が政治に容喙するの途も閉ざされて其の地位が現在の如く決定されたのでした。然し此れは國軍の輕視には決して繋がりません。世に文民優位と云われていますが、外交政策の有効な道具として軍隊はあるが故に、軍備の強化は財政及内政の充實と共に重要な國策のひとつなのであります。

【反對勢力の取締】
無産者の生活改善の為に勞動運動が勃興しつゝあり、大規模な罷業戰術が其の大きな武器となっています。此れに對抗する為、企業主側は買収や實力行使による罷業破りを行い、騒擾事件に發展する事があります。政府は調停を行う為に内務省社會局を新設し融和主義を以て國民生活の向上に努力しています。
極右勢力は頻りに冒険的な挑發を内國の反對勢力及近隣假想敵國に行い、甚だしいのは要人暗殺を業とする輩や私戰を展開せんとする團體もあり、内務省警保局は此れの取締豫防に苦慮しています。
極左勢力の無政府主義者もやはり要人暗殺を事とし秘密に蠢動していますが、特別高等警察の厳重な監視と取締により社會の表面に出没する事はありません。蘇聯共産黨の支配するコミンテルン(共産主義者國際會議)に拠って世界革命を標榜する共産主義は非合法となっています。蘇聯邦に於ける地主自作農階級の壓殺ぶりは聞きしに勝る残虐さであり、また計劃經濟政策の犠牲になって餓死した農民は百萬を單位として數えられる程であると我が信頼すべき情報機關は報告しています。それが為に尚更共産主義を標榜する政治團體は、地主貴族寡頭政體の聨合共和國に於いては排斥されるべき存在となっているのです。

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