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外交


外交政策
   →現今の對外政策

外國情勢
   →蜜具琉耳王國 migrusi
   →呉縷護尼聯邦共和國 gorgoni
   →海神王國 poseidoni
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【現今の對外政策】

舊レミニア共和國は國際非同盟路線を採り1914-18年の今次世界大戰に於いても局外中立であったが、1929-30年戰争の末に北帝國とレミニア共和國との大合同によるレミニア聨合共和國が成立し、舊北帝國の抱えていた諸問題を其の儘引繼ぐに至った。

【極東問題】
舊北帝國は東方帝國併合を始めとして積極的に對外進出を行い、今次世界大戰に於いては協商側に参加、同盟側の隣國ミグルシアと戰い、更に極東に於いては西比利亜出兵に参加、終戰後も日本軍と共に強力な派遣軍を残置し白衛軍が獨立政權を樹立するのを援助した。舊北帝國西比利亜派遣軍はザバイカル湖を隔てて蘇聯邦赤軍と常に對峙し、赤色勢力の浸潤防止の爲に外蒙、新疆に進駐した。1922年末に日本軍が撤兵した後も唯一の白衛援助軍として駐留を續けた。1929年にレミニア共和國と戰争となり戰線の兵力不足を補う為に若干の警備兵力を残し派遣軍を引揚げるに至った。其の間隙を保護國から派遣された土侯軍が埋めた。戰後成立したレミニア聨合共和國は此れを引繼ぐ事となった。1930年舊来の保護國土侯軍を統合改編した外地護郷軍を西比利亜派遣方面軍として西比利亜共和國領土に駐箚せしめ、蘇聯邦との國境線の防備を堅固にした。

【西部・北部國境線の防衛、保護國・属領・殖民地の維持】
本土に於いては舊北帝國の北部國境線を引繼ぎ、好戰的な隣國ミグルシア王國、傳統的に南下政策を採るゴルゴニア聯邦、地政上重要な位置にあるバクテリア、メロニアと直接に交渉する立場となり、また舊北帝國の遺産である西南沿岸地方の緩衝諸國、南洋の委任統治領、極東の租界地、舊東方帝國領を保護する仕儀に至り、國際緊張の只中にて平和を維持するに努力を傾注せざるを得なくなった。
いずれ再び交戰を避けられないであろうミグルシア王國との關係を軸としてゴルゴニア聯邦をどの様に扱い、更に其の他の有力諸外國との連携關係を如何に得るかが國運を左右する大きな鍵となっている。(外務省政務局政務課)

【戰争繼續能力と國力分析】

舊レミニア共和國は今次世界大戰に於いて局外中立を保ち、軍需物資の輸出にて財力を蓄え、また貴族寡頭政體による經濟統制を實施し、外地保護國と一體となった自給自足態勢を目指して外國資本の侵入を防止してきた為、レミニア聯合共和國となっても1929年の米國金融大恐慌の餘波を乗越える事ができた。1929-30年の舊北帝國對舊レミニア共和國戰争による極度の疲弊状態と國内に蔓延した厭戰氣分は徐々に恢復の兆しを見せている。國力分析は始まったばかりであるが、戰争繼續能力の養成に全力を注ぐ必要性は自ら痛感しており、殊にミグルシア王國、ゴルゴニア聯邦の侵入を如何に防ぎ止めるかが目下の緊急課題である。強力な中央集權態勢と經濟統制は自由主義經濟の如く華麗な發展を望めないが、堅實な國力養成に資するものと大方の國民が認めており自ら清貧に甘んずるを許している。


外國情勢


【蜜具琉耳(ミグルシャ)王國】reghland de migrusia

西部國境に隣接する舊い王國。西部邊境地帯の宏漠たる荒地を往く事數日にして峻險な大山嶽に逢着し此れを越えるのは至難である。その向こうには高原地帯が廣がり更に降って盆地に至る。一帯に古代より棲む蛮族あって此れをミ族及グルシャ族と稱す。永らく未開原始状態にあったが中世に至り諸公國勃興し遂に合して王國となってミグルシャと國號を定めた。以来農業地帯として穀物酪農製品材木を輸出して國力を蓄えてきた。諸都市に於いては工藝が盛んで其の器械製品は精巧堅牢である為高価に取引されている。また化學も古来の錬金術時代より盛んである。今世紀に入って鐡鋼器械重化學産業のコンツエルンが發展し、聨合共和國から鑛物石炭石油等の原材料を輸入し此れを加工して優秀な器械藥品類を輸出している。
中世より幾つかの騎士團が近隣邊境に遠征して領地を築き版圖を擴大して来たが、海岸を持たない内陸國であった為、大航海時代の植民地獲得競争に参加できず二流國に甘んじざるを得なかった。前世紀に至り數度の戰争の結果漸く海岸線に進出できたが、既に海洋は北帝國海軍、東方帝國海軍、レミニア海軍の跋扈する處となっており辛うじて南洋群島を獲得し護謨、材木、燐鑛石、奴隷等を得たに過ぎなかった。今次世界大戰には同盟側に参加して敗戰の憂目を見、この南洋諸島殖民地も聯合國側の北帝國海軍により占領され賠償として割譲を餘儀なくされた。
1914年隣接の舊北帝國軍は協商側であったが為、開戰後直ちに國境山嶽地帯の同盟側ミグルシア軍防衛線を突破して國内深く侵入、主力は高原地帯に進出、ミグルシア軍は此れを迎撃して辛うじて膠着状態に持込んだが、1918年同盟側の主導者たる獨逸帝國が敗戰を認めた為、停戰となった。壓倒的な大艦隊を送込んだ舊北帝國海軍により南部海岸地帯の大部を占領され、この地は戰後、先住民族自決の名目のもと北帝國の緩衝諸國として分離獨立した。
王は亡命、代りに政權を擔った共和政府は巨額の賠償金の支拂に窮々とし、經濟は未曾有のインフレーションに襲われ、溢れる失業者を扇動してゼネストを繰返す左翼勢力と暴力革命を公然と目指す共産主義勢力の脅威を實力を以て鎮める為軍部と右翼私兵團の力を借りる有様であった。1920年、漸く國内の治安を回復した軍部はクーデターを起こして共和制を廢止し、國王を亡命先から呼戻して王政復古を宣言した。聯合國側から課せられていた軍備制限を無視した兵器近代化準備が密かに進められ、囚人勞働者を使った大規模な地下軍事秘密工場が稼働を始めた。1920年代を通じ舊北帝國と相互不可侵条約を締結し國力恢復に努めた。
1929年、隣接の舊北帝國は大陸南岸部の舊レミニア共和國に武力侵入を開始し、1年の激戰を經て膠着状態に陥った。此の隙を狙い、ミグルシア王國は舊北帝國との相互不可侵條約を一方的に破棄し、深夜に實驗航空隊の秘匿部隊であった長距離航行飛行船團を北帝國要地に送込み、突如一薺大空襲を敢行、大量の致死性有毒瓦斯爆彈投下を以て北帝國の首都を瞬時に壊滅せしめた。北帝國では為に中央官廰の役人が全て廢疾の身となり其の誇る精密な行政中樞は一挙に機能を停止、首府の住民は有毒瓦斯に依り大量に死亡し生存者の多くは戰後一年餘たった現在も重篤な後遺症に悩んでいる。これを見た舊北帝國の生残りの政治家のうち主戰派は亡命、穏健派が政權を握り交戰中の舊レミニア共和國と直ちに停戰交渉を始め、舊北帝國は舊レミニア共和國と對等合併するを以て和平を實現せしめた。事實上は舊北帝國が舊レミニア共和國に併合されたのであるが、舊レミニア共和國側が舊北帝國の國民感情を慮って此の様な名譽ある停戰の形をとったのであった。
舊北帝國領内に侵入したミグルシア陸軍及此れに同調したゴルゴニア聯邦軍は北上してきた歴戰のレミニア増援軍と決死の抵抗を為す北帝國軍に依って短時日の裡に撃退された。ミグルシア陸軍は優れた装備を有していたが國際聯盟により課せられた軍備制限に依り兵力量が十分ではなく、壓倒的な舊レミニア共和國・舊北帝國聯合軍に自國領内に押返されてしまった。ミグルシア空軍による戰術毒瓦斯爆撃は防毒装備を伴った舊レミニア軍には歯が立たず、逆に大量の野戰高射砲の齊射と驅逐飛行機隊の襲撃により相次いで飛行船團が撃墜され戰術空襲局面ではまともに其の威力を發揮できなかった。レミニア側は攻勢に移ったが國内では長期の消耗戰に疲弊し厭戰氣分が充満していた為ミグルシア國境を越えて占領軍を送込む餘裕がなく、暫定的な休戰協定が結ばれた。
停戰後、新生レミニア聨合共和國はミグルシア王國及びゴルゴニア聯邦に對し多額の賠償金を要求したが、その多寡を巡って折合いが着かず未だに講和條約を結ぶに至らない。
ミグルシア陸軍は1918年の敗戰以来、國際聯盟により課せられた軍備制限により國防に必要最小限の志願兵部隊10萬しか持たなかったが、密かに徴兵制施行の準備が出来ており、大規模な準軍事組織に兵器保管と軍事訓練を依託するなどして、今次戰争に於いては總動員令を下し直ちに常備兵力の5倍の動員を實施するに至ったが大方は未教育であった。1930年には再軍備宣言を發し着實に既教育豫備兵力を蓄積しつゝありレミニア聯合共和國に對抗する姿勢を鮮明にしている。
空軍は秘密工場に於いて外征に必要な新兵器を開發製造しており實驗航空隊の名の下に訓練を行ってきた。今次戰争で使用されたが如き化學兵器の利用に長けており急降下爆撃隊及空挺部隊を使った空中よりの電撃戰術と相俟って隣國の脅威となっている。
僅かな海岸線しか領有せず、また海外殖民地が皆無の為、海軍は大艦隊を有せず、15,000の志願兵による沿岸防備隊及有力な渡洋潜水艦隊を有するのみである。最近は小型巡洋航空母艦の建造と強力な海兵隊の編成が噂されている。
ミグルシア國土は工業及燃料資源に乏しく殊に石油を輸入に頼っている為、緒戰では有利であるが海上交通線を封鎖すれば短期間しか繼戰能力が無いと看做されている。(外務省政務局隣邦課)

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【呉縷護尼(ゴルゴニア)聯邦共和國】republik uniita de gorgonia

古代より北方にあった蛮族が中世に至り大公國となり近世には専制君主國家として版圖を擴げ略大陸北方の全部を掌中に収めるようになった。傳統的に南下政策をとり東方帝國と數度に渡る戰争を行ってきたが、北帝國が東方帝國を併合した為國策は行詰り今次大戰中には赤色革命が勃發した。周邊諸國が干渉軍を送り此れを鎮壓し、属領であったバクテリア、メロニアが革命騒動の最中に獨立した。鐡礦石・石油が豊富で此れの輸出により國庫は辛うじて均衡を保っており、外國資本の参入による工業化が進められている。1929-30年の舊北帝國對舊レミニア共和國の戰争ではミグルシアの誘いに應じ舊北帝國領に侵攻したが舊レミニア軍の増援部隊が北上するに及んで早々に撤退し逆侵攻に備え防備を固めた。
陸軍は徴兵により13軍管區31箇軍團207萬、量的には巨大であるが、民度は低く長期現役制で老兵が多く装備は不足がちなので外征には不向きである。然し國土が宏漠としており寒期に於ける軍事行動に著しい制限が生じるので外敵の侵入をよく防ぎ得る。
海軍は不凍港を持たないので微々たる沿岸防備力しか有しない。(外務省政務局隣邦課)

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【海神(ポセイドン)王國】reghland de poseidon

大陸西部の沿海にある王國。ミグルシアの西隣。海洋進出を目指すミグルシア王國の侵攻を度々受けたが其の都度撃退して獨立を保ってきた。大規模な商船團を以て外洋交易を行い、亜米利加大陸や阿弗利加大陸に幾つかの殖民地を保有し富裕である。15世紀初頭には既に米大陸のアステカ、マヤ、インカの諸帝國と友好關係を築きあげ交易を始めており、諸所に租借地を置いて文明の傳播に貢献した。中米のアステカ、マヤ兩帝國は西班牙の占領する處となったが南米はポセイドンの翼下にあった。非基督教國であるが為に宗教的寛容さが現地に馴染み中米の如き悲惨な征服と殺戮が行われなかった。
對外政策としては孤立主義を採り此れ迄の大戰爭にも頑なに中立を保った。
陸軍の装備は充實しており、國土防衛軍に加え海外に土民兵から成る植民地軍を幾つか維持する。
海軍は南米殖民地との交通線を維持する為に大規模な機動部隊と巡洋艦隊を保持する。
優れた練度を持つ航空部隊がありミグルシア王國を背後から抑制しており聯合共和國にとっては實力ある友好國として貴重な存在である。(外務省政務局隣邦課)    → top


【緩衝諸國】

もとはミグルシア王國が海洋進出を圖る為に占領した大陸西南部の沿岸諸邦であるが、今次大戰に於いてミグルシアが敗退した結果、國際聯盟の主導により民族毎に獨立した。以来北帝國の實質的な属國となっていたが1930年の舊北帝國・舊レミニア共和國の大合同により引續きレミニア聨合共和國の保護下となる。
各々が徴兵制による装備充實し士氣旺盛な小軍隊を保有し、レミニア聨合共和國と相互軍事同盟を結び其の援助を受けレミニア陸軍の空中部隊が蜜具琉耳國境地帯に駐屯している。海岸に接する國は小規模な防備隊及巡洋艦戰隊を有している。(外務省政務局緩衝國課)

《猪(ポルキア)共和國》republik de porkia

ミグルシア王國と國境を接する沿海地帯にある半漁半農の地。造塩業も盛ん。猪を國の紋章とし賢い野猪が祖先とされている。塩の輸出により裕福となり、末裔の現状は子供から老人に至るまで悉く肥満しある事から豚天國とのニックネームが付いている。然し此れを現地にて發言するのは禁忌である。商才にも長け其の數箇の金融財閥は海外に支部を有し稠密なる情報網を以て有利な投資事業を行ひ莫大なる利益を揚げてゐる。レミニア人にもポルキアに投資する者が多い。

丸式と稱する巨大重戰車と自働車化歩兵を中核とした師團、沿岸警備及商船護衛の小艦隊、rughporkar fligant(飛翔する赤豚) なる飛行艇隊を有し侮りがたい戰力を養っている。(外務省政務局緩衝國課、在猪國公使館)

《狼(ルピア)王國》reghland de lupia

ミグルシア王國と國境を接する山嶽地帯にあり、鑛山業・林業が盛ん。代々の狼王が統治してきた由緒ある王國にして精悍な騎士團の活躍が諸々の傳説を生んだ。狼を國の紋章としている。
強力な山嶽獵兵旅團を維持し一旦事あらば遊撃戰を展開して外敵の侵入を許さない。此の地に侵攻したミグルシア軍も非常に手を焼き多大の犠牲を拂った。ミグルシア統治下に於いては半獨立國として尊厳を保った。隣接のカティア大公國とは古代より國境紛争が絶えなかった。平野部に進出しようとするルピア騎士團がカティア騎士團と土民の執拗な抵抗に翻弄され東奔西走の挙句戰費が續かず休戰となるのが常であった。(外務省政務局緩衝國課。在狼國公使館)

《猫(カティア)大公國》arkidukland de katia

ミグルシア王國と國境を接する奥深い山嶽地帯にあり、林業・牧畜業が盛ん。代々の山猫大公爵が統治してきた一帯であるが半獨立状態の地主貴族とそれに従う自營農民の力が強く國家としての結束力は緩い。山猫を國の紋章としている。ルピア王國とは古代より小規模な國境紛争が絶えなかったが、現在は國際聯盟及同盟國たるレミニア聨合共和國の仲介により平和裡に解決を見る事が多い。

静謐性に優れた森林狙撃獵兵旅團を有している。(外務省政務局緩衝國課、在猫國公使館)

《禽(ビルドニア)自由國》liberland de birdonia

ミグルシア王國と國境を接する峻險な山嶽地帯にあり、林業が盛ん。獨立自營農民で構成する共和政體をとる。鷲を國の紋章としている。僻地ゆえ此れと云った産業も發達せず最貧國と云われている。飛行機操縦士として稀に見る才能を發揮する者が多く、外國の航空會社や空中部隊で活躍が目立つ。

聨合共和國の援助による装備技倆共に充實した飛行旅團を有し、緩衝國全域の空中哨戒を請負って外貨を獲得している(外務省政務局緩衝國課、在鳥國公使館)。

《狗(フンディア)共和國》republik de hundia

ミグルシア王國と國境を接する丘陵地帯にあり、牧畜業が盛ん。地主貴族の力が強い。貧民は傭兵團を結成して出稼に行く者が多い。
優秀な歩兵旅團を有している。殊に regiment de hund furioz(猛犬聯隊)の異名をとる歩兵隊は國境地帯に駐屯して守りを固め幾多の國境紛争に活躍し數々の偉勲を立てている。(外務省政務局緩衝國課、在犬國公使館)

《熊(ウルシア)自由國》liberland de ursia

丘陵森林地帯にあり、林業が盛ん。中世より自由民が結成する共和政體。立上がった熊を國の紋章としいる。

其の獰猛さで有名な歩兵旅團を有している。ベアニア軍の通過した跡は略奪により草木一本さえ残らないと云はれる。(外務省政務局緩衝國課、在熊國公使館)

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【貘貂利亜(バクテリア)】bakteria

古代文明の榮えた地であった。舊東方帝國に朝貢して其の保護下に入ったが、ゴルゴニアの南下政策により數度の戰争を經て其の占領地となった。ゴルゴニア赤色革命の際には舊北帝國の干渉軍に占領され、其の保護の下に獨立した。現在はレミニア聨合共和國寄りの友好國とされている。

陸軍は徴兵制を敷き兵力は十分であるが装備が舊式である。内陸國の為海軍は無い。レミニア陸軍の歩兵旅團が駐屯している。(外務省政務局隣邦課、在貘貂利亜大使館)

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【苺露仁亜(メロニア)】melonia

舊東方帝國の属領であったが、ゴルゴニアに割譲され、ゴルゴニア赤色革命後に獨立を果たした。現在はレミニア聨合共和國寄りの友好國となっている。

陸軍は志願制乃至強制徴募制で装備劣弱の地方軍閥團隊を集成したもの。内陸國の故海軍は無い。レミニア陸軍の歩兵旅團が駐屯している。(外務省政務局隣邦課、在苺露仁亜大使館)

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【西比利亜共和國】republik de siberia

露西亜赤色革命の折にザバイカル湖以東、沿海州からカムチャッカにかけて樹立された白色政權。オムスクを首都として暫定西比利亜政府が獨立を宣言しチェコ軍團の占領地域を基地として赤色軍を驅逐しサンクト・ペテルブルグに迫る勢いを示した。コルチャーク提督の臨時全露西亜政府の指導下に入り沿海州共和國となった。1918年世界大戰終結に伴う聯合軍撤兵と共に白軍はオムスクを放棄しザバイカル湖以東に撤退を餘儀なくされた。聯合軍のうち残留していた日本軍と舊北帝國軍は劣勢の白軍に代って赤軍の侵攻をザバイカル湖東岸にて喰止め、その間コルチャーク政權は沿海州共和國を核として在西比利亜白色勢力の聯合による西比利亜共和國を樹立した。停戰後も舊北帝國及日本帝國と緊密な軍事同盟を結び其の後10年の間に堅固な國境防備に勤しみ防共の砦となった。西比利亜鐡道沿線には日本軍が撤兵した後も權益保護の為に北帝國軍が軍團規模の派遣軍を置き、いざ赤軍侵攻の際は増派を厭はずの姿勢を堅持した。
1929-30年戰争により北帝國とレミニア共和國が合併したレミニア聯合共和國は舊北帝國の方針を受繼いだ。陸軍は臨時西比利亜派遣軍(外地護郷軍の出征部隊及内地正規軍より派遣された特科部隊より成り、2箇軍5箇師團にて方面軍規模)を編成、此れを常駐させている。コルチャーク政權は其の後豊富な資金の運用に依て國力を蓄えつゝある。中央銀行には舊露西亜帝國の遺産500噸の金塊及寶玉類多數を保有し此れに加えて舊露西亜帝國が海外銀行に預入れたる現金が加わる。積極的に外國資本を導入、殊にレミニア聨合共和國、米國、日本との合瓣による鑛工業及漁業開發が盛んである。工業化を目指す勞農赤色政權が強行する農村搾取に耐へかね難民の流入が相次ぎ人口は増大しつゝある。また日中鮮蒙を主とする近隣諸國からの移民も増加してゐる。
レミニア聨合共和國からは軍事援助に附随して顧問團がコルチャーク政權に派遣され經濟・國防政策に助言を與え、國内の安定に寄與してゐる。當初の西比利亜政府は露西亜帝國時代の舊制度を其の儘適用しやうとした為、農民の反撥を招き赤色勢力の滲透が非常に危惧され、ザバイカル湖附近に於いて大規模な一揆が頻發し赤色化の擴大を見た。これを憂慮した舊北帝國政府の工作に依り自作農民創出政策が強力に推奨され、ザバイカル湖以東に撤退後は安定した地方統治が實現した。
コルチャーク提督は亡命貴族、地主階級、新興富裕層、及軍部(舊帝國陸軍部隊及コザック兵團を以てする白衛軍)を支持基盤とし強力な獨裁を以て左派勢力を一掃したが人心を収攬する爲に皇統の貴人を推戴して帝政復歸の可能性を檢討中と取沙汰されている。若し其れが實現したとしても舊来の如き絶對君主制に回歸する事は無かろう、寧ろ援助諸國顧問團の助言に依り立憲君主政體を採るであろうと推測されている。
敵對する蘇聯邦は軍備強化を目的とする五カ年計畫の實施に邁進しており其の經濟の再建が實現する迄は新たな侵攻を為し得ないであろうと觀測される。隣國日本は満洲及内蒙の領有を企圖しつゝあるらしいが、外蒙には消極的と見做されている。外蒙は蘇聯邦の勢力下に入らざるよう西比利亜共和國が早急に掌握するべきであろう。現にレミニアの西比利亜派遣軍は1箇獨立師團を權益保護名目にて外蒙に駐箚させ更に新疆に1箇歩兵旅團を分駐させ赤色勢力の浸潤を防遏して居る。支那は國民黨と地方軍閥の共同政體であり軍も大規模な兵數にも拘わらず素質劣悪の爲當面の敵とはならない。然し國民黨軍の一部は獨逸軍事顧問團の指導下にあり侮りがたい。

陸軍は5箇師團(戰時10箇)、徴兵制を敷き現役兵力75,000、總動員時38萬。反共各國の兵器供與を受け装備は充實している。
海軍は志願制で小艦隊を有し浦塩港を根拠地として、レミニア海軍及日本海軍と共同しベーリング海、オホーツク海の制海權を握っている。然し西比利亜の防衛は舊北帝國時代の政策を其の儘引継いだレミニア聯合共和国が實質上此れを擔っているのであって、若し機會あらば赤色政權を根絶すべく行動を起こす時も亦来るであろう。(外務省政務局緩衝國課、在西比利亜大使館)

《外蒙》

西比利亜共和國の南部に接するゴビ砂漠に在る蒙古は、1915年舊露西亜帝國と支那國民黨政府との條約によりジェプツンタンパ8世を聖皇帝とする諸侯聯合の大蒙古國として承認された。1913年内蒙に出兵し併合を圖ったが露西亜帝國の干渉により撤兵した。1917年の露西亜内戰時に赤軍の援助を受けんとしたが、1919年中華民国が外蒙を占領し聖皇帝を退位させた。1920年10月ロマン・ウンゲルン男爵の白軍部隊1,400が外蒙に侵入し支那軍を驅逐、聖皇帝は復權した。ウンゲルン男爵の軍政は苛烈で敵味方を問わず800人以上を處刑した爲人心が離反し、民族主義者、社会主義者が赤軍を呼込もうとした。1921年この動きに對し舊北帝國軍部隊が機先を制して進駐し主導權を握り外蒙の赤化を防遏した。以来1箇師團が常駐し、1930年これを聯合共和國西比利亜派遣軍の旅團が引継ぎ現在に至っている。(外務省政務局緩衝國課、在西比利亜大使館)

《新疆》

1928年支那内紛に乗じ新疆省都督楊増新が獨立政府を組織したが民政會長金樹仁が都督を暗殺して政權を奪取した。金も亦回教徒の叛亂により失脚、舊北帝國軍が越境介入して地方軍閥馬軍を掃討し爾来駐箚軍を常置し新政府樹立援助を行った。國民黨政府は形式的に邊防督瓣を任命するが實際は北帝國軍顧問の頤使する傀儡に過ぎなかった。1930年此れを引繼いだレミニア聨合共和國は西比利亜派遣軍の旅團を常駐させてゐる。(外務省政務局緩衝國課、在西比利亜大使館)

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【東洋諸國】

《大日本帝國》imperi de japan grand

レミニアが極東に保護すべき西比利亜共和國、支那の諸權益・租界を有する故、利害密接な日本帝國との友好關係を保つ必要大であるが、日本は満洲に特殊權益を有し排日主義を標榜する中華民國と衝突する虞があって、同盟國としては些か安定を缺く候補である。また國内政情も政黨の腐敗、經濟不況により不安定であるから外務省では日本とは單に相互不可侵條約を結び日本軍部の冒険主義と一線を劃し亜細亜に於ける紛争に巻込まれないやうにするのが得策との見方が強まりつゝある。
日本政府は1928年の第二次及第三次山東出兵(2箇師團強)に於いて蒋介石の北伐軍と交戰に至り權益保護の姿勢を鮮明にした。同年、國民黨軍(南軍)と張作霖軍(北軍)が将に満洲に亂入せんとする情勢となるや、北京から撤退してきた張作霖を關東軍の容認の許に謀略機關が爆殺した。張の後繼者である張學良は國民黨に加擔し日本は却って満洲への影響力を弱める結果となった。タナカ首相は事件の責任者である關東軍首腦部を處分しやうとしたが軍部の抵抗に遭い曖昧裡に収めんとして其れが天皇の理解を得られず内閣總辞職に追込まれた。
經濟情勢は安定していない。今次歐州大戰の間、歐州よりの商品供給が途絶した隙を狙い日本は亜細亜唯一の供給元として大いに潤ったが、大戰終結の後1920年に歐州製品の供給が復元した途端に不況に見舞われた。1923年に首都が大震災に襲われ商人が資産を喪失した為、手形の現金化が困難となり多くが倒産に追込まれた。銀行が震災手形割引損失補償を行ったが却って自らの經營を壓迫し1927年に國會での蔵相の失言に依り取付騒ぎが起こり中小銀行が休業した。政府は支拂猶豫令を發し日本銀行の特別融資に依り危機を回避、更に銀行法を改正して群小銀行の大銀行への統合を進め、財閥系の5行に纏めた。1930年に金解禁(金本位制は1897年開始され歐州大戰中の1917年に金輸出禁止となっていたが、此れへの復歸)を實施した。為替相場安定が目的であったが1917年以前のレートを適用した為(舊平価解禁)圓は高くなり輸出が停滞した。農民は豊作不況と其れに次ぐ凶作により打撃を受け、絹輸出は世界恐慌に因る需要萎縮と人造絹絲出現により勢いを失った。政府は重要産業會社の倒産を懼れて財閥に是等を吸収合併させ産業合理化を推進しようと準備してゐる。

陸軍は平時17箇歩兵師團(84箇歩兵大隊)、徴兵制にて現役兵力282,000、豫備兵力228萬(人口比2.3%)。戰車聯隊2箇、乗馬騎兵聯隊25箇(70箇中隊)、砲兵大隊52箇、高射砲兵大隊5箇、工兵中隊65箇、通信工兵隊16箇、飛行中隊28箇。装備は平凡であり殊に未熟な器械工業の為に國産兵器製造能力は貧弱極まりなく機械化は遅れている。
海軍は志願制にて現役兵力88,000、多大の豫算を注込んで艦艇は充實しており、1905年知略を以て露西亜バルチック艦隊を撃破した事で有名。サイレント・ネイヴィーを以て自らを任じ強力な抑止力たらんと努力を重ねている。ワシントン會議で主力艦増備の抑制を迫られた為、政府の國際協調方針に對し不満が生じてゐる。(外務省政務局亜細亜課、在日公使館)

《中華民國》shutat popol de chin

レミニア聨合共和國は支那にエリシア租借地を持ち其の他の各地に租界を設けている。支那大陸は膨大な人口を持ち市場として非常に有望な地である。レミニア聨合共和國を始めとし歐米及日本の資本が注入されているが、政治的安定が保證されていない脆さがあって、清朝瓦解後の國民黨政府及地方軍閥の動向が注目されている。蒋介石の國民黨政府による國内統一が望まれるが、日本は満洲に於ける權益保護を全うすべく戰亂が關外(万里の長城以東)に及べば駐屯軍に依る武力行使も辭さなさい姿勢を示している。同時に共産黨勢力の浸潤擴大が懸念される。

陸軍は志願制乃至強制徴募制で徴兵制は確立していない。515箇師團430萬と稱するが、團隊定員は他國軍の半數であり缺員多く傭兵から成る地方軍閥も多く含まれている為實質は五分の一程度とみて良い。士氣軍規装備共に著しく劣る。獨逸陸軍が軍事顧問團を派遣して居る他、日本陸軍への留學生も多く将校の教育は改善されている。
海軍は清朝時代に強力な装甲艦隊を有したが1894年の日清戰争にて悉く日本海軍に撃沈されるか押収され現在は有名無實となっている。(外務省政務局亜細亜課、在支公使館)

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【歐米諸國】

《米州諸國》shutatoy en ameika

《亜米利加(アメリカ)合衆國》shtatoy uniitay de amerika

地味な農業國であったが今次大戰中の特需により重工業が發展し未曾有の好景氣に湧いた。1920年代後半には戰後需要が終熄し産業は不振に陥った。農村は機械化に依る過剰生産が価格下落を招き天候不順が續いて疲弊した。政府は自由放任主義に基づき景氣對策を行わなかった為に投機熱は沸騰し續けた。1929年10月24日に株価の下落が始り、29日には半値になり投資家は資金の引揚を行った。此れを受けて外國經濟も深刻な打撃を蒙った。工業生産、物価は半減し、失業率は急増した。
政治的には孤立主義を標榜し局外中立を保っているが、支那大陸を有望な市場と看做しており門戸開放を唱えて其の保護には神經質となってゐる點に注目するべきであろう。即ち支那は諸勢力の何れかひとつが此れを獨占する事を許さない情勢なのである。米國は當分の間1929年の金融大恐慌よりの立直りを圖るに専念せざるを得ない為、國際舞臺に於いて其の影響力を行使するに至るのは未だ先の事とみられる。

陸軍は宏漠たる國土を防衛するに必要最小限の兵力しか持たず、經濟再建の為に更なる軍事豫算削減が進められる豫定である。正規軍兵力は1929年137,529人、1930年137,645人。是に地方護國軍192,000が加わる。編成豫備軍として12萬の豫備将校團を持つ。豫備兵力308,000、總兵力人口比0.36%。志願制である。徴兵制は戰時しか實施しない。今次大戰では歐州派遣の為遠征軍210萬人を動員した實績があり戰時には大膨張する。近い将来は兵力450萬18軍團6野戰軍の動員が可能となろう。歩兵師團9箇(108箇大隊)、戰車7箇中隊(500輛)、乗馬騎兵3箇師團、砲兵160箇中隊(3,800門)、高射砲兵43箇中隊(200門)、工兵39箇中隊、信號工兵9箇中隊、瓦斯工兵7箇中隊、飛行123箇中隊(1,800機)。この内海外駐箚兵力、布哇21,777、ポルトリコ918、比律賓11,083、巴奈馬14,942、アラスカ385、其他1,697、計50,802。
海軍は大西洋と太平洋に艦隊を保持する必要上、豫算上は優遇されている。豊かな國土を有し軍需物資を自給自足する事ができ工業も發展しているので繼戰能力は非常に高いと看做されている。(外務省政務局歐米課、在米大使館)

《歐州諸國》shutatoy en europ

今次大戰により疲弊した歐州は米國資本の進出が目覚ましく、世界經濟情勢は今や米國を中心に廻轉していると云って差支えない。政情不安定な敗戰國獨逸の動向は今後の歐州情勢を左右する颱風の目となろう。1929年の米國金融恐慌が波及するのは時間の問題との觀測が非公式に囁かれている。現に米國資本の引揚が行われた獨逸では戰後復興計劃が甚だしく遅延している。(外務省政務局歐米課)

《露西亜社会主義聯邦ソビエト共和國》republik sovet socialism uniita de rus

1917年の赤色革命政權樹立後、反革命軍との7年に亘る内戰により舊露西亜帝國の版圖を縮小した形となったが世界唯一の共産主義國家として國力を蓄えつゝある。低下した生産力(工業9割減、農業5割減)を回復せんとして新經濟計劃NEPによる農産物自由化が實施され生産力は回復した。1924年國家元首のレーニンが死去し複數の後継者による集團指導体制に移った。レーニンの後繼者たらんと欲するスターリンが赤軍創設者で武力革命總指揮者であったトロツキーの世界革命論(永久革命)を否定し彼を軍指導者の職から解任、1929年國外に追放した。獨裁體制を敷いたスターリンは一國社會主義を標榜して國力充實を推進、工業育成を目指して計劃經濟(經濟五カ年計劃)を實行した。穀物輸出に依り外貨を得て此れを産業近代化に投入し、工場、鑛山、水力發電所、道路、鐡道の急速な建設を行った。1929年以降の大恐慌の影響も受けず米國に次ぐ工業力を持つに至った。農業生産の非能率を是正せんが為に從来の自作農方式を廢止し、全農村を集團農場化し一定量の穀物生産を確保しようとした。NEP時代に増加した富裕層は収入減を斷たれ不満を呈したが投獄處刑により消滅した。然し凶作であっても穀物の上納量を減らそうとしない為、農民は生存に最低限必要な食糧まで供出しなければならず、信頼すべき消息筋に依れば百萬を單位とする餓死者を出していると云う。不満を述べる者は全て収容所に監禁し無償強制勞動に従事させており囚人の半數以上は粗悪な待遇の為1年以内に死亡している。

陸軍は當初志願制であったが其の後徴兵制に移り現役兵力154萬、豫備兵力1,794萬を數える。總兵力人口比11.3%。工業化の進展に伴い可成の機械化が進んでいる。歩兵師團84箇(790箇大隊)、戰車6,700輛、乗馬騎兵師團25箇(564箇中隊)、砲兵中隊1,883箇(5,349門)、飛行中隊300箇(5,000機)
海軍は小規模な艦隊を有するのみで實力は皆無、然もバルト海、黒海に兵力を二分されている。
全軍に政治委員が配置され其の副署がないと作戰が發動できず、抗命者を射殺する權限も持っているので指揮が混亂する弱點を持つ。
共産主義の滲透を警戒するレミニア聨合共和國は蘇聯邦に隣接する反革命勢力たる西比利亜共和國を強力に援助し、東から蘇聯邦の封込戰術をとっているが、情勢觀察と貿易の為に國交を結んでいる。(外務省政務局歐米課、在露大使館)

《獨逸(ドイツ)國》shtat german, Deutsches Reich

今次大戰中の1918年3月の攻勢失敗により参謀本部は休戰交渉を開始した。11月にキール軍港にて水兵叛亂が起き、更にミュンヘンに革命政権が發足、バイエルン王ルードヴィヒ三世、次いで皇帝ヴィルヘルム二世が退位し社會民主黨内閣は共和制を宣言した事を受け聯合國との間で休戰協定が締結された。1919年1月には共和政權を構成する左派が「獨逸共産黨・スパルタクス團」を結成して暴力革命路線を採り是を國防相ノスケの獨逸義勇軍が鎮壓した。6月講和条約が締結され、領土の一部と全殖民地の割譲、軍備制限と共に以降獨逸を苦しめる巨額の賠償金1,320億マルクを負う事となった。
頻發する左派過激派の叛亂は軍部により逐一鎮壓されたが、復員兵の補償費、失業者の増大により財政は悪化し、増税案は右派により拒否され、紙幣増發によって是に對處した為高度なインフレーションを惹起した。滞りがちな賠償金支拂を補償する為、1923年佛蘭西及白耳義は工業地帯ルールを占領し資材を接収した。工業地帯を失い完全失業率は28%、不完全失業率は42%に達し中産階級が没落、大企業の寡占が進んだ。
インフレーションは對米弗為替レートが1914年7月時點で4.2マルク、1919年5月13.5マルク、1922年7月493.2マルク、ルール占領の1923年1月17972マルク、同7月353.412マルク、同8月4620455マルク、同9月98860000マルク、同10月25260280000マルクに達した。1923年1月の麺麭価格は250マルクであったが12月には3999億マルクとなった。 8月内閣が交代し、國有地を擔保となしたレンテンマルク(壱兆舊マルクを1新マルクに交換)への通貨切替によりインフレーションは収束した。
1925年にロカルノ條約が締結され西部國境劃定と仲介裁判所による紛争處理方式が成立し、1926年には國際聯盟常任理事國となった。これ以降、米國短期信用資金の流入により經濟は回復した。1929年、米國資金は株式投資に移動して流入が減少し、失業者が増大した。更に10月の金融恐慌により米國資金の引上が始まり、失業者増大は停まらず失業保險原資を巡って諸政黨間で政争が展開され國債發行も増税も勞使拠出金率の變更も出来ない状態となった。ヒンデンブルク大統領は議會に基盤を置かない内閣を組織し、大統領令による増税を實施した。9月選擧ではヒトラー率いる國家社會主義勞働者黨が躍進し第2黨となったが、ベルサイユ体制撤廢を公約してゐる為に獨逸は國際的信用を失い外國資金の引揚が加速した。
陸海軍はベルサイユ條約により軍備制限が課せられている。航空機は全面禁止。陸軍10萬人、歩兵師團7箇、騎兵師團3箇、将校4千人以内、重火器・装甲・瓦斯兵器は禁止。海軍は戰艦6(1萬噸以下)、輕巡6、驅逐艦12、航空母艦・潜水艦は禁止。志願制。

《波蘭(ポーランド)共和國》republik de polska, Rzeczpospolita Polska

中世には中歐最強であったが前世紀末に露西亜帝國に併合され今次大戰後に獨立を回復した。1920年に蘇聨軍の侵攻を撃退したピウスツキ元帥の獨裁政權は唯我獨尊で周邊國とは羅馬尼亜を除き友好状態には無い。

37箇聯隊の騎兵運用に重點が置かれた舊式の戰術思想が温存されており、機械化は進展しておらず200輛足らずの輕戰車以外は豆戰車の編成となってゐる。砲兵は依然として馬匹編成であり、對空砲は威力薄し。空軍は今次大戰時の舊式機を有する。
陸軍現役兵力國内332,400、徴兵制、總兵力人口比5.4%。歩兵師團30箇(324箇大隊)、戰車聯隊24箇(600輛)、乗馬騎兵師團7箇(273箇中隊)、砲兵中隊440箇(1,792門)、高射砲中隊40箇、工兵中隊63箇、信號工兵中隊90箇、瓦斯工兵大隊1箇、飛行兵中隊52箇(831機)。

《愛沙尼亜(エストニア)共和國》republik d'estland, Eesti Vabariik

陸軍現役兵力11,100、徴兵制、總兵力人口比4%。歩兵師團3箇(18箇大隊)、戰車中隊2箇(20輛)、乗馬騎兵聯隊1箇(5箇中隊)、砲兵中隊17箇(130門)、高射砲大隊1箇、工兵中隊6箇、信號工兵中隊4箇、瓦斯工兵中隊1箇、飛行兵大隊1箇(68機)。

《芬蘭(フィンランド)共和國》republik de suomi, Suomen tasavalta

もとは瑞典の一部であったが1808-09年瑞典戰争により露帝國支配下の自治大公國となった。1899年反動化した露帝國は自治權を廢止、露語が公用となり不満が募り1904年總督暗殺事件が發生する。1917年露革命が勃發すると獨立を宣言、續く内戰に於てマンネルヘイム元帥の白衛軍は赤軍を排除し王黨派が獨帝國の後援を得て王制を施行した。1918年獨帝國の敗戰により共和制となる。
陸軍現役兵力30,300、徴兵制、總兵力人口比3.5%。歩兵師團3箇(26箇大隊)、戰車中隊1箇(16輛)、乗馬騎兵聯隊2箇(10箇中隊)、砲兵中隊41箇(162門)、高射砲中隊3箇、工兵中隊5箇、信號工兵中隊8箇、飛行兵中隊7箇(72機)。

《瑞典(ウェーデン)王國》reghland de svedi , Konungariket Sverige

陸軍現役兵力34,100、徴兵制、總兵力人口比14.5%。歩兵師團4箇・旅團5箇(47箇大隊)、戰車中隊2箇(20輛)、乗馬騎兵聯隊4箇(17箇中隊)、砲兵中隊42箇(140門)、高射砲中隊5箇、工兵中隊16箇、信號工兵中隊6箇、飛行兵中隊12箇(157機)。

《諾威(ノルウェイ)王國》reghland de norveg , Kongeriket Norge

バイキング時代後に100年續いた王位繼承戰争の結果、諾威王國が成立したが14世紀初頭に王家が斷絶し丁抹に併合された。ナポレオン戰争後は丁抹より離れ瑞典と同君聨合國となり、今世紀初頭に獨立王國となった。今時大戰では中立をとった。

陸軍現役兵力1,4200、徴兵制、總兵力人口比4.7%。歩兵師團6箇(50箇大隊)、乗馬騎兵聯隊3箇(18箇中隊)、砲兵中隊34箇、高射砲中隊3箇、工兵中隊9箇、信號工兵中隊9箇、飛行兵中隊9箇(90機)。

《丁抹(デンマーク)王國》denmark , Denmark

ゲルマン大移動によりユトランド半島を占拠したデーン人が建てた國で、13世紀初頭にはイングランドを領有し北海帝國を成し、14世紀後半には瑞典、諾威とカルマル同盟を成し大國として君臨した。16世紀に瑞典が同盟より離脱し、17世紀に30年戰争で敗退、トルステン戰争で瑞典に敗退、大北方戰争で露西亜に敗退し衰弱した。19世紀初頭のナポレオン戰争に於いて佛側にあった為、諾威を瑞典に併合されカルマル同盟は終熄した。プロイセンとの戰争でシレスビッヒ・ホルシュタイン州を喪い窮迫した。今時大戰では中立をとり經濟復興に励んでゐる。

陸軍現役兵力11,000、徴兵制、總兵力人口比0.2%。歩兵師團2箇(32箇大隊)、乗馬騎兵聯隊2箇(10箇中隊)、砲兵中隊33箇(132門)、高射砲中隊9箇、工兵中隊8箇、信號工兵中隊5箇、飛行兵中隊10箇(150機)。

《墺太利(オーストリア)共和國》republik d'awstr, Republik Östareich

799年以来フランク王國オストマルク東方邊境伯領がスラブ人、マジャール人の侵攻を撃退する前線地帯となってゐた。976年墺太利邊境伯領と改稱、1156年大公領となり1249年ハプスブルク家支配下、1359年大公國、1438年以降ハプスブクク家は神聖羅馬帝國皇帝を世襲、婚姻を通じてブルゴーニュ、フランドル、スペイン、ハンガリー、ボヘミアに家領を所有、1618-48年三十年戰争によりカトリック化を目指したが叶わず神聖羅馬帝國は形骸となる。1683年第二次維納包囲に耐え反攻した結果1699年匈牙利とクロアチアを獲得。西班牙繼承戦争にてブルボン家の王位繼承を認める代償に南ネーデルラント、ミラノ公國、ナポリ王國を領有。1740-48年マリー・テレジア即位を巡る墺太利繼承戰争にてシレジアをプロイセンに奪われる。1754-63年の七年戰争では大國の威信を回復したが經濟が疲弊し爾後20年間は軍事行動が不能となった。1806年ナポレオン戰争により神聖羅馬帝國皇帝位は消滅し、以降墺太利帝國となる。1814年メッテルニヒ宰相による復古體制下、南ネーデルラントをオランダ王國に割譲し代償として北伊太利亜、チロル、ダルマチアを獲得した。1834年獨逸關税同盟により墺の影響力は低下。1859年伊太利亜統一戰争に敗北し北伊を放棄。1866年普墺戰争に敗北し孤立。1867年匈牙利と同君聯合が成立し中歐に覇權を確立、獨逸人とマジャール人がスラブ人を支配する構圖となる。
1908年ボスニア・ヘルツェゴビナ併合により汎スラブ主義抑壓を圖るが皇位継承者フェルディナンド大公がボスニア訪問時にセルビアの民族主義者により暗殺される。これに端を發してセルビアに宣戰布告、同盟を結ぶ諸國も互いに開戰し今次大戰が始まる。1918年敗戰後、獨逸墺太利共和國となる。1919年サンジェルマン講和會議にて獨逸との合併が否認され墺太利共和國と改稱。二大政黨たる社會民主黨と基督教社會黨は各々準軍事團體を有し互いに反目、小競合が頻發している。1931年世界恐慌の餘波を受けクレディート・アンシュタルト銀行が破綻し政情は不安定の度を強めつゝある。

陸軍現役兵力國内38,000、志願制、總兵力人口比2.8%。歩兵師團6箇(42箇大隊)、乗馬騎兵聯隊2箇(6箇中隊)、砲兵中隊32箇(90門)、高射砲中隊2箇、工兵中隊18箇、信號工兵中隊6箇、飛行兵聯隊2箇。

《洪牙利(ハンガリ)王國》reghland d'hungar, Magyar Királyság

マジャール人の建國した匈牙利王國は1541年より墺太利と土耳古に分割支配されてゐたが1699年大土耳古戰争終結に伴い墺領匈牙利王國となった。1711年1848年の民族獨立闘争は鎮壓されたが1866年普墺戰争に敗れ獨逸の主導權をプロシャに奪われた墺は匈牙利貴族團と妥協し1867年匈牙利は二重帝國の片翼として自治を享受するに至った。前世紀末の資本主義興隆により近代化が進展した。
今次大戰敗退後、1918年二重帝國より脱し民主共和國となり領土の2/3を喪った。トランシルバニアを羅馬尼亜に、スロバキア・カルパティア・ルテニアを捷克斯拉夫に占領された。1919年共産黨革命により匈牙利ソビエト共和國となりスロバキア侵攻、全國赤色テロを行った爲近隣諸國の信頼を失い羅馬尼亜軍の侵入を招いた。舊二重帝國海軍總司令官ホルティ提督の率いる國民軍の蹶起により5箇月足らずで共産主義政權は瓦解した。1920年政體は共和國となったが愛國運動の隆盛により1920年國民投票の結果、立憲君主制に變更された。協商國側は舊墺皇帝の國王即位に難色を示した。國王空位の儘議會選出の摂政ホルティ提督が獨裁權を掌握した。前墺皇帝カール1世は亡命先の瑞西より匈牙利を訪問し國王即位と同時に墺太利侵攻を以てこれを掌握し再び二重帝國皇帝に歸り咲くべく畫策したが隣國南斯拉夫、捷克は軍を國境地帯に終結して開戰の構えを見せた爲ホルティ摂政は總動員令を發して迎撃せんとしたが英大使が制止しカール1世は國外に退去した。
莫大な賠償金を課せられた爲大戰後インフレーションに襲われ1927年デノミネーションを行って此れを切抜けた。1929年の世界大恐慌で經濟は再び危機に陥ってゐる。民族主義者による失地回復運動が興り、南斯拉夫に領土の一部を占拠されていた伊太利亜と1927年同盟を結び、獨逸とも親交を深めている。

陸軍の機械化は僅かに輕戰車を装備するのみである。空軍はない。
陸軍現役兵力43,800、志願制、總兵力人口比0.3%。歩兵旅團7箇(49箇大隊)、乗馬騎兵旅團2箇(23箇中隊)、砲兵中隊24箇(105門)、高射砲中隊2箇、工兵中隊20箇、信號工兵中隊7箇。

《捷克斯拉夫(チェコスロヴァキア)共和國》republik de chekoslovak, Československá republika

墺帝國の一部であった捷克(舊ボヘミア王國・モラビア邊境伯領)と斯拉夫が今次大戰後合同して建國した。捷克はズデーデンに300萬の獨逸系住民を含んでいる。斯拉夫は南隣する匈牙利北部及ウクライナのカルパティア・ルテニアを領土に編入した。マサリク大統領のもとに佛第三共和制を真似た議會制民主主義を實施、殊に男女普通選擧、合法共産黨(國政選擧支持率10%)の存在が注目される。
捷克は舊二重帝國の工業地帯であり教育水準の高い中産階級が存在するので經濟及文化水準が高いが、斯拉夫は農業地帯で貧困層が多い。匈牙利を仮想敵國としてゐる為、佛蘭西と同盟し、羅馬尼亜及ユーゴスラビアと三國小協商を締結して對抗してゐる。

ズデーデン要塞地帯を擁し、戰車兵團の運用も巧みである。有名な兵器會社スコダにより機械化が進んでゐる。
陸軍現役兵力國内164,000、徴兵制、總兵力人口比12.4%。歩兵師團12箇(169箇大隊)、戰車中隊3箇(200輌)、乗馬騎兵旅團4箇(75箇中隊)、砲兵中隊252箇(1,200門)、高射砲中隊6箇(200門)、工兵中隊35箇、信號工兵中隊20箇、飛行兵中隊51箇(687機)。

《勃牙利(ブルガリア)共和國》reghland de bulgaria, Tsarstvo Bulgaria

曾て勃牙利帝國として繁榮したが1393年土耳古帝國の支配下に入った。1878年露土戰争に土耳古帝國が敗北した爲、露帝國の保護下に大勃牙利公國として獨立し1909年には勃牙利王國として完全獨立を果たした。1912年露西亜帝國の汎スラブ主義を後盾として希臘・セルビア・モンテネグロとバルカン同盟を結び土耳古に對し第一次バルカン戰争を起こす。軍はイスタンブール至近に迫るが膠着状態となり倫敦講和會議が開かれるが参戰各國の利害對立により1913年第二次バルカン戰争となった。露西亜の後援を受けたセルビア・モンテネグロ・希臘、遲れて参戰した羅馬尼亜、土耳古を敵とした為に孤立無援となり休戰後ブカレスト講和條約を結び對土耳古戰にて得た戰果は僅少となった。1915年今次大戰では同盟國側としてセルビアに侵攻、終戰後1919年ヌイイ條約にて、西トラキアを希臘に、マケドニア人居住區域をユーゴスラビアに、ドブルジャを羅馬尼亜に割譲した。政情混亂の爲國王親政が敷かれている。

陸軍現役兵力國内43,700、志願制、總兵力人口比10.7%。歩兵師團8箇(24箇大隊)、乗馬騎兵師團2箇(30箇中隊)、砲兵中隊27箇(200門)、工兵中隊6箇、信號工兵中隊5箇、飛行兵中隊10箇(150機)。

《羅馬尼亜(ルーマニア)王國》reghland de rumania, Regatul României

長らく土耳古帝國の支配下にあったワラキア・モルダビア両公國が聯合して1861年羅馬尼亜公國となった。1877年の露土戰争に参戰し1878年土耳古帝國より獨立した。1881年王國となった。
1913年第二次バルカン戰争に途中参戰し勃牙利の首都ソフィアに迫りブカレスト條約にて南ドブロジャを獲得した。今次大戰では協商側につき獨軍に首都ブカレストを占領されるが戰後ブコヴィナ(モルダビア北部、墺領)、トランシルバニア(北西部、匈牙利領)、ベッサラビア(モルダビア北東部、露領)、ドブルジャ(東南部、勃領、第二次バルカン戰爭後羅が占領下に置いていた)を回復し大羅馬尼亜となる。假想敵國蘇及匈牙利に對抗する為、捷克斯拉夫及ユーゴスラビアと三國小協商を締結した。

機械化が遅れており輕戰車300餘輛を有するのみである。
陸軍現役兵力國内22,200、徴兵制、總兵力人口比11.5%。歩兵師團23箇(228箇大隊)、戰車聯隊4箇(300輌)、乗馬騎兵師團4箇(116箇中隊)、砲兵中隊355箇、高射砲兵中隊24箇(150門)、工兵中隊70箇、信號工兵中隊27箇、瓦斯工兵聯隊4箇、飛行兵中隊34箇(800機)。

《南斯拉夫(ユーゴスラヴィア)王國》reghland de yugoslaviya, Kraljevina Jugoslavija

東羅馬帝國領土跡に建國したセルビアは1459年以来土耳古帝國の支配下に置かれ1817年公國として自治權を獲得、1878年完全獨立、1882年王國となる。1912年第一次バルカン戰争で土耳古帝國に勝利し版圖を擴大した。1914年ボスニアのサラエヴォにて墺帝國皇太子暗殺事件が起き墺はセルビアに宣戰布告し兩國と同盟していた諸國が自働的に参戰、今次大戰の契機となった。墺・獨・勃の三度に亘る攻勢をよく防ぎ全人口の28%(男子人口の58%)を失った。1918年今次大戰後、舊墺帝國の南スラブ人がスロベニア人・クロアチア人・セルビア人國として獨立し更にセルビア王國、モンテネグロと共にセルブ・クロアート・スロヴェーン王國となった。政情を統一せんとてセルビア人専制が強化され民族間の不和が顕著となり1929年に國王アレクサンダル1世は國體を南斯拉夫王國に改變し政黨を禁止した。

陸軍現役兵力國内131,500、徴兵制、總兵力人口比0.9%。歩兵師團16箇(158箇大隊)、戰車中隊2箇(120輌)、乗馬騎兵師團2箇(40箇中隊)、砲兵中隊193箇(912門)、高射砲兵中隊16箇(100門)、工兵中隊46箇、瓦斯工兵聯隊1箇、飛行兵中隊55箇(960機)。

《大英帝國》reghland uniita de brituy grand k irland nord, United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland

英軍は今次大戰中の1916年に徴兵制を導入し、本國670萬、加奈陀45萬、濠州33萬、新西蘭11萬、南阿7萬6千、印度144萬、計919萬を動員し112萬(本國89萬、印度7萬、其他16萬)の戰死者を出した。終戰時には甚だしく疲弊した状態であり、米國經濟への依存度を強めた。世界の1/4を有した帝國は英聯邦に改組され獨立した白人諸自治領と對等となった。1919年の英愛戰争を經て愛蘭自由國が獨立し、印度では獨立運動が盛んとなっている。
1922年ワシントン海軍軍備制限条約により海軍力を米海軍と同等に制限し、世界の海を制覇していた英海軍は其の座を降りる事となった。
今次大戰で疲弊し戰時債務の償還に追われ此れに産業の國際競争力低下が追打を掛ける為緊縮財政を行い復興が遅れてゐる。1929年の米國金融恐慌の波及により英國は輸出量の激減に見舞われた。金本位制廢止、平価切下、保護關税導入を行い、英貨幣スターリングを基軸通貨として域内特恵關税による閉鎖經濟圏を組織せんとしてゐる。英國は自國通貨ポンドを決濟手段とする國際金本位制と自由貿易主義を自ら放棄したのである。此の状況の中で軍備も大幅な縮小を迫られてゐる。此處に大英帝國の凋落が明かとなったと同時に世界經濟は戰國の様相を呈しつゝある。

陸軍は志願制にて(今次大戰中は徴兵制)正規軍133,000、印度軍54,000、地方軍16,000より成る。豫備兵力669,000、總兵力人口比0.25%。歩兵師團5箇(70箇大隊)、戰車中隊16箇(699輛)、騎兵旅團2箇(39箇中隊)、砲兵中隊117箇(2,400門)、高射砲兵中隊23箇(250門)、工兵中隊30箇、信號工兵中隊40箇、瓦斯工兵中隊1箇、飛行中隊192箇(2,000機)。
1927年實驗装甲旅團が戰車戰の有効性を示したが緊縮財政下にあっては海空軍の充實が優先され大規模な装甲軍は編成されてゐない。
海軍は今次大戰前は世界最大最強を誇ったが戰後財政難のもとで米國と同等規模に縮小され専ら海外植民地交通線防衛用に維持されてゐる。
空軍は今次大戰中に世界最大戰力を有したが戰後は縮小された。

《佛蘭西(フランス)共和國》republik franci, République française

今次大戰で獨逸の攻勢に耐え1919年パリ講和會議でヴェルサイユ條約を締結し、1920年國際聯盟の常任理事國となった。アルザス=ロレーヌを獨逸より回収し獨逸植民地、土耳古帝國領の一部を委任統治領として獲得、土耳古帝國から獨立したてのシリア・アラブ王國とシリア戰争を起し委任統治領シリアを獲得した。主戰場となった為に戰死150萬人、戰傷500萬人、30歳以下の人口の1割余を喪い、經濟は戰債支拂、國土荒廢により不安定である。獨逸に過大な賠償及石炭の現物支給(佛内地の炭礦が戰災の爲荒廢した爲)を請求して1923年には獨逸工業地帯ルールを保障占領した。此の地は獨逸の石炭73%、鉄鋼83%を産出しており占領による生産低迷にも拘わらず紙幣濫發が續いた爲、獨逸は高インフレに襲われ1月の換算率1米弗=1万7792マルクが11月には4兆2000億マルクとなった。獨逸政府は抵抗運動を呼掛け佛軍の占領は低迷状態となった。獨逸の賠償金支拂能力さえ怪しくなり、戰債支拂に追われる佛政府は1924年米國の介入によるドーズ案による獨逸賠償金輕減に合意せざるを得なくなった。ポアンカレ首相の保守聯合は總選擧で敗北し退陣し、佛軍はルールより撤退した。此の後1929年の世界恐慌により經濟は混亂の度合を強めつゝある。

マジノ線建設に軍費を注込んだ為に陸軍の機械化は進まず馬匹輸送に逆戻りした。戰車は歩兵援護用として今次大戰時の車輌が各部隊に分散配置され大規模な装甲兵團は編成されてゐない。
海軍は地中海に於ける對伊防衛と海外植民地海上交通線護衛の為、戰艦3、重巡18、輕巡28を擁し有力である。
空軍は今次大戰後縮小されてゐる。
陸軍現役兵力國内448,000・海外206,000、徴兵制、總兵力人口比14.7%。歩兵師團20箇(180箇大隊)、殖民地師團1箇、戰車中隊75箇(4,300輛)、乗馬騎兵師團5箇(393箇中隊)、砲兵中隊619箇(2,600門)、高射砲中隊52箇(204門)、工兵中隊120箇、信號工兵中隊42箇、飛行兵中隊185箇(4,500機)。

《伊太利(イタリア)共和國》reghland d'italia, Regno d'Italia

今次大戰に於いて多くの犠牲を拂い乍らも墺太利ハプスブルグ家を壊滅に導いたが、巴里講和會議では南チロル、トレンティノ、ベネチア・ジリア、イストリア半島の獲得しか認められなかった。賠償金もなく、ダルマチアの併合は叶わなかった。戰後のインフレーションが小作人による農地占拠、工場勞働者による工場占拠を惹起したが小地主層の自衛民兵組織が此れに對抗し沈静化させた。社會主義政権に不安を抱いていた保守層はムソリーニの率いる全國民兵組織「イタリア戰闘者ファッシ」に援助を與え1921年には黨員10萬を數える「全國ファシスト黨」が成立した。1922年同黨による示威行動「ローマ進軍」に對處すべくファクタ首相は戒嚴令を發しようとしたが國王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は署名を拒否しムッソリーニに組閣を命じた。ムソリーニ統領は1924年羅馬条約にてフィウメを併合し1926年アルバニアを保護國とする成果を擧げ議會の他黨を解散させて一黨獨裁制を敷いた。1928年ファシスト(結束主義者)黨のファシズム大評議會を國家最高議決機關と定め王家・黨・政府の聯絡調整に當らせた。中央集權制の徹底は著しく市町村長すら任命制となった。
經濟再建を目指し政府は官廰統廃合を進め經費節減に努め投資と自由貿易を振興した。社會黨政權時代の勞働者小作人の權利を縮小させ地主・企業家の側に立った經濟改革を進め勞働争議減少により生産力が向上している。經濟刺激策として大規模な公共投資が實施され大幅な経済成長率の向上を達成し失業率は改善した。 マフィアを壊滅させ其の經濟犯罪が減少した。

工業が未發達の為、軍の機械化は遅れてゐる。兵器は舊式であり、戰車は山嶽の多い本土用に小型のものしか無い。
海軍は地中海に於ける對佛海軍に對抗するべく整備されて来たが低速度、輕装甲の艦しか無い。
空軍は雑多な機種で編成されてゐる為、稼働率が半部以下である。
陸軍現役兵力國内475,000・海外5,000、徴兵制、總兵力人口比14.1%。歩兵師團29箇(268箇大隊)、戰車聯隊7箇(200輛)、乗馬騎兵師團3箇(60箇中隊)、砲兵中隊554箇(2,190門)、高射砲中隊24箇(140門)、工兵中隊48箇、瓦斯工兵中隊2箇、飛行兵中隊190箇(1,900機)。

《西班牙(スペイン)共和國》reghland d'espana, Reino de España

曾て全世界の海を支配したが英國に其の座を譲り、産業革命の波に乗遅れ、王政復古期の1898年米西戰争に破れキューバ、プエルトリコ、グアム、比律賓を失い、偉大な殖民地帝國は終焉を迎えた。1909年威信回復の爲モロッコ進出を試みたが現地ベルベル族叛亂を鎮壓するに拂った多大の犠牲に國内の不満が昂じ政情不安定となりバルセロナに於て左翼勢力の騒擾が發生した。今次大戰に於ては中立であったがインフレーションが進み下層民が困窮して勞動運動の急速な昂揚を見た。地方分權運動、民衆暴動、要人暗殺が頻發し極度の政情不安が全土を襲った。1923年アルフォンソ十三世國王の任命した首相リベラは憲法を停止し獨裁體制を敷き西班牙愛國同盟を唯一の合法政黨とし企業及公共事業に大幅な支出を行った。然し此れは却って政府財政逼迫、左翼勢力伸長、軍部の背反を招き、1927年には通貨危機が起きた。1930年首相が更迭されたが政情不安は収まらず1931年國王は亡命し、共和制の復活を見た。然し社會勞働黨内閣は貧農對策、軍改革、地上自治政府承認などの改革を實施しているが未だに國内の混亂を収拾しきれずにいる。

陸軍現役兵力國内199,300・海外5,000、徴兵制、總兵力人口比8.9%。歩兵師團17箇(83箇大隊)、戰車中隊8箇(120輛)、乗馬騎兵師團4箇(75箇中隊)、砲兵中隊77箇(704門)、高射砲中隊4箇(40門)、工兵中隊62箇、信號工兵中隊13箇、飛行兵中隊22箇(300機)。

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