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1930年以降の情勢

北帝國とレミニア共和國の合併後、ミグルシアとゴルゴニアの侵入を阻止する北部戰線は解決が長引くかと思われたが火星人の襲来により交戰諸國は混亂し沈静化に向った。
亜米利加株式暴落に端を發する大恐慌が世界を覆った。いち早く自給自足の統制經濟態勢を整えていた新生レミニア聯合共和國は大きな破綻を見せなかった。ミグルシアは米國資本の引上に耐えきれず經濟が低迷し、ゴルゴニアは大飢饉に見舞われ國内が混亂した。
歐州では獨逸が國際聯盟を脱退し再軍備を開始、中歐に勢力を擴大した。佛蘭西は政情不安定で昔日の勢いを失い、西班牙では内戰が起り社會主義政府が倒れた。伊太利亜が阿弗利加に勢力を擴大した。露西亜は農村から収奪した資金で急速な工業化を進めたが多大な餓死者を出した。東洋では清朝が倒れ軍閥の群雄割拠となった。日本が満洲を占領した後、支那國民黨軍が北伐を開始。満洲に侵入した北伐軍と權益を保護せんとする日本軍との間に衝突が頻發した。

獨逸がポーランド、北歐諸國、白耳義、和蘭、佛蘭西、英國を占領した。支那に權益を擴大せんと欲する米國は蒋介石國民黨を支持し軍事援助を惜しまなかったが、佛印に進駐した日本に經濟制裁を課すべく英蘭支と共同で石油・鐵鋼の禁輸を實施、更に支那からの撤兵要求を行い日本の支那に於ける戰争遂行を阻止しようとした。窮地に陥った日本は南方資源獲得の為に米國との開戰を決意したが、西比利亜に勢力を張ったレミニア聯合共和國が米國の態度を嫌い新疆油田から石油及礦石を供給した為、危機は回避された。英國は米國の参戰を逸しあえなく獨逸に占領された。

獨逸は生存圏擴大と稱し蘇聨侵攻を開始、西比利亜共和國軍とレミニア聯合共和國軍は此の機會を逃さず共産主義撲滅を掲げて西部より侵入した。獨逸軍は總統の作戰介入がもとで幾度も好機を逸し東部戰線は膠着したが、レミニア軍がウラル山脈を突破し激しい爆撃で工業地帯を破壊しつゝ進撃の手を緩めなかったので、蘇聨は戰備が溶解し崩壊した。傳統を尊重する獨逸軍部は新興の總統を嫌悪し遂に此れを暗殺、新たな政權を樹立し「成上りの無頼漢」分子を悉く處分した。廣大な西歐占領地を持て餘した獨逸は突如として我に歸ったが如く休戰に動き、占領地からの撤兵を行い、歐州に再び平和が戻った。

日支の戰争はレミニア聯合共和國が両者を仲介して休戰に持込まれた。列強の權益は原状に復し、蒋介石國民黨政府は日本の傀儡政權たる汪兆銘政府との並立體制を暫定的に黙認し、餘力を共産黨討伐に注ぐ事に同意した。蘇聨消滅後の支那共産黨軍は後盾を喪い次第に北西に追詰められた。
北邊の延安に本拠を置いたがレミニア聯合共和國軍が蒙古に進出、連日の如く苛烈な長距離爆撃を行い、更に内蒙に機械化兵團を繰出し國民黨軍及日本軍と共に徹底的な掃蕩を始めたのに耐えかね、西方奥地に退却を繰返した。
新疆に辿着いた共産黨軍は待構えていた聯合共和國軍の重囲に陥り敢無く消滅した。


《1931年6月火星人襲来》

世界各地に被害及ぶが15日後に細菌感染により火星人死滅。
本邦圓筒飛来地點(應急出動交戰部隊)
1 東部 マルボルドリエンタ縣マルボルドリエンタ市飛行場(歩兵19聯隊、野戰高射砲兵5聯隊、飛行兵24聯隊、獨立混成飛行2大隊、獨立混成飛行3大隊、獨立混成飛行4大隊、獨立混成飛行5大隊、獨立混成飛行6大隊、獨立混成飛行7大隊、獨立混成飛行第8大隊、防毒工兵3大隊分遣隊、第3憲兵隊分遣隊、海軍3艦隊、3防備隊、海兵7聯隊)
火星人は市街を占拠、更に洋上に進出せんとしたが第3艦隊の遠距離砲撃及水雷攻撃により損害を出し陸上に退却。近郊に勢力を擴大せんとするも飛行旅團の間断無き襲撃を受け損害を増大させ夜間のみの活動となる。騎兵師團及重砲兵旅團の到着を目前にして細菌感染により自滅。
2 西部 ホーク縣エルミントルード郡プシュミプルユ村馬牧場(歩兵第26聯隊、海岸砲兵4聯隊、獨立工兵14大隊、防毒工兵4大隊分遣隊、鐡道4聯隊、獵兵4大隊、獵騎兵4聯隊、第4憲兵隊派遣隊、護郷軍hawk聯隊、hawk龍騎兵聯隊、hawk胸甲騎兵聯隊、hawk農騎兵聯隊、海兵嚮導聯隊、海軍1艦隊、1防備隊)
火星人は牧場一帯を占拠し頻りに人馬を捕獲す。更にホーク市に進出し街路を蹂躙、港より洋上に出た處を海軍第1艦隊の遠距離射撃を受け退却。2週間に亘り近郊を徘徊す。野戰重砲兵旅團の到着を前に細菌感染にて自滅す。
3 北部 パペルニア縣パペルニア市南大門煙草横丁(歩兵34聯隊、龍騎兵9聯隊、野砲兵9聯隊、野戰重砲兵5旅團、野戰高射砲兵9聯隊、工兵9大隊、防毒工兵5大隊分遣隊、輜重兵9大隊、飛行兵23聯隊、憲兵分駐隊)
パペルニア市街地に飛来し街路を徘徊、頻りに人畜を捕獲す。郊外に進出し砲兵及騎兵の射撃を受け損害を蒙るが此れを驅逐。更に勢力を擴大せんとする矢先に細菌感染により死滅。
4 深南部 ジルベリア縣トアレト郡ゲシュライ村野菜畑(歩兵12聯隊、護郷軍silberia大公爵近衛聯隊、silberia獵騎兵隊、silberia飛行隊)
山間に飛来し諸村を蹂躙して頻りに人畜を捕獲。應急出動部隊を蹴散らしジルベリア東部を占拠するに至るが途中、細菌感染により死滅す。
5 外地 漢口共同租界郊外火力發電所敷地(獨立歩兵54聯隊、遠東駐屯憲兵隊第1分駐隊、海軍第60防備隊砲艦リヴェルロンガ號)
市街地に飛来し守備兵力を蹴散らし市街を蹂躙す。頻りに人畜を捕獲し駐屯の構えを見せる。到着した諸國海軍砲艦隊の遠距離砲撃を受けるも効果疑わし。1週間を過ぎた頃より活動鈍化し、遂に病死全滅す。
6 外地 ベツルシア州スイント郡スイント町郊外水産加工場敷地(ベツルシア獨立第1守備隊、海軍第1特務艦隊:装甲巡洋艦アンドロメダ號、一等海防艦マローラ號、9驅逐隊、航空母艦オケアヌス號・5航空隊)
海岸に飛来し頻りに徘徊して住民を捕獲す。海軍艦艇の遠距離射撃を受け相當の損害を出すも南下を續ける。途上細菌感染にて全滅す。
7 外地 同州ヴェラルティ郡プラクヴ村(ベツルシア第2獨立守備隊)
同上。
8 外地 南洋廰ポセイドニア群島支廳海中(南洋獨立守備隊、南洋憲兵隊第1分駐隊、海軍第2特務艦隊:巡洋戰艦ミルリゼイ號、輕巡洋艦ディアマンダ號、7驅逐隊、5濳水隊、航空母艦オウラヌス號・9航空隊)
洋上に飛来沈没す。諸島に上陸、頻りに住民を捕獲。數日後に到着した海軍艦艇の艦砲及水雷攻撃を受け損害大。尚も洋上進撃を續ける途上發病全滅す。

《1941年7月 西比利亜戰争》

獨逸軍の蘇聨侵攻に伴い西比利亜共和國軍と聯合共和國西比利亜方面軍(西比利亜派遣軍、第1軍、第2軍、第3軍、騎兵第1師團、飛行第2師團)は共に露西亜東部に進撃。 1943年2月 莫斯科を獨逸軍と共同占領。蘇聨消滅。

1941年6月に始った獨逸軍の蘇聨侵攻(バルバロッサ作戰)は先ず制空權を確保した上で8月にノヴゴロド、スモレンスクを9月にキエフを占領、12月初旬にレニングラード、モスクワに迫り(タイフーン作戰)露西亜西部の半部を制壓。然し補給線が伸びきり泥濘と冬季装備缺如の為に其の後の進撃は停滞した。總統の作戰介入甚だしく遂には自ら陸軍總司令官となって作戰指揮に任じた為、軍は幾度も好機を逸した。1942年6月下旬に獨軍は總統の直接指揮のもと蘇聨の給油能力を遮断せんとしてボルガ河交通路及油田地帯占領を目指し南部に進出(ブラウ作戰)したがコーカサスの峻嶮な地形に阻まれバクー油田占領は果せず撤退する。ボルガ河を扼するスターリングラード占領も失敗し12月蘇軍の包囲下にあった現地獨第6軍は第57機甲軍團により救出された(冬の嵐作戦)。總統が飛行機搭乗中の爆彈破裂により暗殺され(閃光作戰)政權交代となる。「黒いオーケストラ」と稱された國防軍首腦部の陰謀。西比利亜共和國軍とレミニア聯合共和國軍が西部より進撃を續け1943年2月莫斯科を占領。3月13日獨軍は東部戰線に於いて蘇軍残存勢力の掃討を完了し莫斯科には遅れて入城した。蘇聨は消滅する。
8月新政權のもと獨軍は西部歐州占領地より撤退し英佛と休戰協定を締結。また露西亜東部を占領した西比利亜共和國と相互不可侵條約締結。莫斯科を境界とし露西亜の西部を獨逸、東部を西比利亜共和國が領有する。
1944年1月 聯合共和國軍はザバイカル以西に撤収。
    8月 日支休戰となり、 9月 支那にて第二次國共内戰開始。

獨逸總統親衛隊と仲の悪い國防軍

蘇軍の抵抗に苦戰する獨逸歩兵

嚴冬の中で苦戰する獨逸部隊

蘇軍戰車小隊を待伏攻撃するレミニア獵兵

獨逸總統暗殺の陰謀

總統乗機に偽装した爆彈を仕掛ける黒いオーケストラ

伯林に於ける政權交代。

《内蒙進駐、延安爆撃、越境掃蕩作戰》

1944年10月 聯合共和國は支那治安の混亂から西比利亜周邊地域及在支權益を保護する為、蒙古方面軍(第1軍、騎兵第1師團、飛行第2師團)を以て内蒙に進駐、延安を猛爆撃し中共根拠地を破壊。
1945年1月 國民黨軍と共同し中共軍掃蕩作戰。10月中共軍の奥地撤退。11月作戰區に第1師團及飛行第5旅團を残し、蒙古方面軍撤収。

1946年1月 第2師團が第1師團と交代。
1947年1月 第3師團が第2師團と交代。
1948年1月 第4師團が第3師團と交代。
1949年1月 第5師團が第4師團と交代。
1950年1月 第5師團及飛行第5旅團は任務終了し支那より撤退。蒙古方面軍凱旋復員。

國民黨軍と中共軍の戰鬪

《新疆事變》

1949年7月 支那國共内戰終結。
   8月ー12月 新疆事變。新疆方面軍(第1軍、第2軍、騎兵第1師團、飛行第2師團)が新疆に進出、新疆に逃亡し来たる中國共産黨軍を殲滅。
1950年1月 新疆方面軍凱旋復員。

1930年倫敦海軍縮會議

【欧羅巴】
1917年露2月革命、10月革命。
1918年露帝國消滅。
1933年獨逸のベルサイユ條約破棄、再軍備宣言、國際連盟・國際勞働機關脱退。
1934年蘇聨の國際連盟加入。
1936-39年西班牙内戰。
1938年獨の墺太利併合。ミュンヘン協定により捷克が獨にズデーデン地方を割譲。
1939-40年蘇芬戰争。國際連盟が蘇聯を追放。
1939年捷克より斯拉夫共和國及カルパト・ウクライナ共和國が獨立。匈牙利がカルパト・ウクライナ共和國を併合。
1939年獨軍及蘇聨軍のポーランド分割占領。蘇聨軍のエストニア、ラトビア、リトアニア進駐。
1940年獨軍の諾威、丁抹、和蘭、白耳義、ルクセンブルク、仏蘭西占領、羅馬尼亜及シシリー進駐。伊太利亜参戰、スーダン及埃及占領、希臘伊太利亜戰争。蘇聨のラトビア、エストニア、エストニア併合。羅馬尼亜がベッサラビア及北ブコビナを蘇聨に、南部トランシルヴァニアを匈牙利に割譲。
1941-42年第二次蘇芬戰争。
1941-43年獨蘇戰争
1941年ユーゴスラビア親獨政權クーデターにより倒壊。クロアチア親獨政權による獨立。獨軍のユーゴスラビア及希臘占領。
1942年米國義勇軍の北阿弗利加戰線出動。獨總統暗殺。
1943年獨伊軍の北阿弗利加撤退。伊太利亜クーデターによりムソリーニ政權倒壊。ムッソリーニが獨軍援護下に伊太利亜社會共和國樹立。ユーゴスラビア獨立宣言。獨軍及聯合共和國軍・西比利亜共和國軍の莫斯科占領。蘇聨消滅。獨軍の休戰、佛・北歐から撤退。
1944年聯合共和國軍の西比利亜西部撤退。

【阿弗利加】
1934年ワルワル事件(エチオピアと伊の紛争)
1935-36年第二次エチオピア戰争。エチオピア帝國の伊領東阿弗利加編入。
1941年伊軍のエチオピア撤退。エチオピア帝國復活。
1952年エチオピア・エリトリア連邦成立。

【亜米利加】
1940年航空機燃料及屑鐵の對日禁輸
1941年石油の對日禁輸、日本の在米資産凍結。
1942年義勇軍の阿弗利加戰線出征。
【東洋】
1918-22年西比利亜出兵(兵數:英1,500・米7,950・佛・伊1,400・加4,192・日73,000・支・北帝國120,000)。1918年オムスク反共政權成立。1919年白衛軍ザバイカル以東に撤退。西比利亜共和國成立。1920年北帝國・日を除く諸國軍撤退。日軍の北樺太保障占領。1922年日軍撤兵。
1930年國共内戰開始。
1931年満州事變(日本軍が満洲占領)。江西省に中華ソビエト共和國臨時政府成立。1932年満州國獨立。1934年中共軍の奥地撤退。
1935年冀東防共自治政府成立。
1936年中共軍の山西省侵入を閻錫山軍と國民黨軍が阻止。綏遠事件(蒙古軍の綏遠省侵入)。西安事件(張学良よる蒋介石監禁)
1937年第二次國共合作。北支事變。蒙古聯盟自治政府成立。第二次上海事變。日本軍の北京、天津、青島、南京占領。中華民國臨時政府成立。中華民國の武漢遷都。日本のワシントン海軍軍縮條約破棄。
1938年中華民國維新政府成立。日本軍の徐州、廣東、武漢占領。
1939年日本軍の江蘇省占領。
1940-49年國共内戰。
1940年日本軍の北部佛印進駐。米英の石油・鐡對日禁輸、通商航海條約破棄。
1941年蘭の石油對日禁輸、通商航海條約破棄。米英蘭の日本資産凍結。
1942年日本・聯合共和國・西比利亜共和國の相互援助同盟成立。(日米開戰・米の對獨参戰回避)
1944-45年聯合共和國軍の蒙古進出、延安爆撃、内蒙にて國民黨軍と共同し中共軍を掃蕩。
1944年日支休戰(中共軍掃蕩を目的とする武漢國民黨政府・南京汪兆銘政府・日本の暫定休戰協定)。佛領シリア獨立宣言。
1949年新疆事變(聯合共和國軍が新疆に逃亡し来たる中共軍を殲滅)
1950年中國共産黨消滅。

【越南】
1940年日本軍の北部佛印進駐。
1945年越南帝國成立。
【南亜米利加】
1932-38年グラン・チャコ戰争(石油埋蔵の偽報による大湿原争奪戰、パラグアイ・ボリビア両軍膠着状態となり講和、兩國疲弊す)


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