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★★ 1929-30年戰争 西海岸戰線及山嶽戰線及東部戰線 ★★


【西海岸戰線】
  西海岸戰線は北部の第一線に敷いたウェルズ・ブライトン間の塹壕線が數週間で突破され防御に當った師團は後退を重ね、ウェルズ縣南部のヘルボイ村で逆襲を試みましたが敢えなく敗退、軍紀崩壊を来して降伏、ウェルズ・クリートの兩縣は占領されました。しかし北帝國軍は巨大な山嶽地帯を越え隣接するアンドロメダ縣に向けて進撃する餘裕が無く侵攻は狭隘な海岸線を確保するに留まりました。

【山嶽戰線】
  西部戰線の右翼に連なる大山嶽地帯に於いても、熾烈な攻防戰が繰り廣げられました。北帝國軍は2箇軍團を山嶽地帯に投入、一挙にレミニア山嶽要塞を抜いて、アルキチェンモント縣、ガイツ縣を占領し、レミニア首府メトロポリスに迫ろうと企畫したのでしたが、レミニア軍も強力な山嶽部隊で迎撃し、北方帝國軍を翻弄して、尾根を越えさせませんでした。神出鬼没のレミニア山嶽部隊と山砲兵部隊に加え、山嶽戰の訓練を受けていた平地のガイツ歩兵部隊も加わり、終戰まで間断無い激しい戰闘が續きました。朝にひとつの峰を奪取すれば、夕には再び同じところを奪取されるという一進一退ぶりでした。
  北方帝國軍も、この山嶽戰線が崩壊すると、ただちにレミニア軍は山嶽を降りて逆に北帝國首都に迫ることができるため、あだやおろそかにはできませんでした。

【東部戰線】
  いっぽう首府メトロポリスから遠く離れた邊境地帯、果てしない荒地の續く東部國境では、開戰と同時に、双方とも機動軍を展開し、大規模な戰車戰が行われました。しかし新編のレミニア機動軍は、歴戰の古強者北帝國騎兵軍の敵ではなく、緒戰にてあっけなく敗退し、以降は随所で小戰闘を繰返しながら、後退する歩兵部隊の援護にあたりました。

  レミニア機動軍の敗走により、歩兵部隊は逆襲の機会を狙う為に直ちに後退しましたが、あちこちに残存した隊は荒地の町に貧弱な塹壕線を敷き、抵抗しました。しかし瞬く間に北帝國機動軍に蹂躙され、秋にはソヴァジランド、グランポンドなど東部諸縣は帝國軍の占領するところとなりました。

レミニア軍の抵抗線

しかし北帝國軍は、西部戰線に大兵力を貼り付けているため、東部戦線に正規軍を配属する手当てがつかず、十分にこの廣大な地域に占領兵力を展開できませんでした。兵站線は伸びきり、レミニア住民による不正規遊撃戰に悩まされました。帝國軍占領地總督は、かって併合した東方帝國であった属領から土民の傭兵を大量に投入して兵站守備兵力にあてましたが、軍規齊一ならず、随所に略奪・放火・残虐行為が行われ、いよいよ占領地住民の抵抗を高めることになりました。なかには召使の方が兵士よりも多いと云う貴族の隊もあり、山賊がそのまま一族をあげて出稼ぎにきたという隊もありました。

  この状態は終戰まで続き、帝國軍を疲弊させました。北帝國軍は激戰續く西部戰線に増加兵力を抽出しなければならず、かたや崩壊したレミニア東部軍は、大陸深南部の奥に撤退し再編成を行っていたので、大規模な會戰は、緒戰以降なく、だらだらと睨みあいの交戰状態が存續したのでした。


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