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東方帝國歴史


【建國】     → top

アトランティス大陸の半部陥没時に生残った住民のうち東岸に居た人々が寄集ってつくった國が東方帝國であった。大洪水が退いた跡地に残された都市を拠點として古代文明を良く受繼ぐ存在であった。沿岸傳ひに勢力を伸し、また歐州大陸とも交易して徐々に繁榮の道を辿った。
200年から400年代にかけてのレミニア族南進は堅固な山嶽地帯と砂漠地帯が自然の要害となり、更に其處に暮す諸蕃族に援助を與へ此れを阻止できた。
【アルジェントリア併合】

「780年の大蝗軍襲来」(騎馬蠻族の大規模な侵入)によりレミニア人のメダルスカルト王國が崩壊し、蝗軍そのものも四散衰退した。其の跡地に進出した東方帝國は此れを併合し大陸東南部を手に入れた。(現在の東部地方:アルジェント縣、チエル縣、マルボルドリエンタ縣、ソヴァジランド縣、グランポンド縣)

【南洋進出及歐州交易】

800年代、更に西進した東方帝國はダーリエに艦隊根拠地を開設し南洋進出を圖る。リゾネシア王國と交易を行い、遠くツーダンに迄勢力を伸した。
歐州大陸に於いては當時隆盛を極めたイスラム圏アッバース朝と交易を行い多くの富と文化の交換を行った。

【興隆期】

1464年、レミニア沿岸に橋頭堡を築きレミニアを支配していたラトニア王國を属領とする。ボロディノ、ハナフウーダンに居留都市を築く。

1468年、ダーリエ北方の獅子王國に遠征軍を送出すが激しい抵抗に遭い敗退。(ピアストル會戰)以降、北方進出を斷念しジルベリア王國及ランデンドルフ王國と同盟して堅固な防御線を巡らせる。

【衰退期】

1560年、現地民の叛亂によりレミニアの支配權を喪失し南レミニア、ハナフウーダンの城塞都市に後退する。
1700年代、東方帝國商船隊はレミニア及北方帝國の私掠船に悩まされる。
1800年、新帝が諸改革を施行。
1825年、遠征軍をレミニアに送り首府を攻略せんとするが敗退。(第1次ニルス戰役)
1850年、レミアニ軍の攻撃により南レミニア及ハナフウーダンの城塞都市を放棄。レミニア支配終焉す。(第2次ニルス戰役)
1874年、北帝國軍が東方帝國領内に侵入し此れを占領。舊東方帝國領となり間接統治下に入る。(東方戰争)
      ダーリエが自由都市として獨立し、北帝國に對抗していたレミニア共和國の保護支邦となる。

1930年、レニニア聯合共和國發足し、北帝國支配下にあった舊東方帝國領は聯合共和國の直接統治下に入る。


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