邊境の守り ― 護郷軍守備隊 ―
→邊境とは
新しく爵位を賜った成上りの貴族・士族が領地を開設しようとしても、本土は既に既存の領地で満杯なので、邊境の空いた處に割當られます。割當は政府の領地襲爵委員會が決めます。開拓民を募集すると、さまざまな人々が地主の株や農場を買取り、小作人を雇入れて農業を始めるのですが、先ず水路を引き荒地を開墾しなければなりません。それだけでも初期投資がかさみます。また人がいないので自ら小作人や作男のする勞働をしなければなりません。せっかく小作人の階層から脱して農場主になれる新天地と聞いて入殖に応募してきたのですが、家族總出で朝も晩も農作業に忙しく、あまり以前の生活と代り映えがしません。獰猛な野獸が跋扈し、風土病が流行し、洪水や日照りが續く土地では作物は弱り、おまけに飛蝗などの害蟲が群をなして襲ってきます。野盗、敵意のある先住民、越境してくる密輸業者などが徘徊し、治安は極端に悪いため、住民はみな自力で武装しています。電話を引く餘裕はもちろん無く電氣さえ通じていないので、凶悪な連中に襲われると信号彈を打ち上げて何キロも先の隣家に知らせるのが精一杯の通信手段です。土地の警吏(警察署を置く資金が無い為、住民が出資して輕武装の警備員を雇います)は馬や自働二輪車に乗ってたまに回ってきますが、その頻度も月に1回あればよい方です。
このような邊境に自警團が結成されたのが入殖の盛んになった19世紀初頭です。まがりなりにも組織的な治安維持活動が試みられるようになっていますが、事變に際して召集しても人口希薄のため小規模な集團にしかならず、それも収穫の繁忙期には團を抜けて自分の家に歸ってしまう決まりになっているので、あまり威力はありません。すなわち悪事に手を染める者供には、殊に秋から冬にかけては誰にも咎められずにしたい放題のできるこの世の天國であったわけです。おかげで入殖は遅々として進まず、大勢の應募者も悪漢どもに抵抗すれば大事な勞働力である家族を殺傷され家を焼かれるので、とても農場の經營どころではなく、大半が歸國してしまう事態に至りました。
これに頭を悩ませた州庁は、領主どもの基金をもって常備の傭兵部隊を編成し、要所に砦を置いて季節を問わずいつでも出動できるように武装警察力を強化しました。19世紀の前半には各州とも自前の志願歩兵聯隊(9箇中隊編成)と小規模な志願龍騎兵聯隊(3箇中隊編成)を持つようになっていました。折に触れて野盗團を討伐したり、先住民の動向を監視したので、邊境の治安は格段に向上したと住民から評価されました。戰時には正規軍に編入され出征しましたが、戰争が長引くとあとに残された留守隊と碌に訓練を受けていない義勇兵で地元の治安維持に任ぜねばならないので、一挙に弱体化しました。缺員だらけで制服も無く規律も徹底しない日給目當の烏合の衆と化してしまうのです。しかし當時の戰争はせいぜい1箇月も續けば長いほうでしたので、戰争が終って隊員が復員してくると同時に治安はすぐに回復しました。
原住民の襲撃
原住民との戰闘
聯合共和國が成立すると各州の傭兵部隊は護郷軍(私設傭兵部隊の總稱)の一部となり、正規軍各管區の軍司令官の指揮下に入りました。邊境治安維持のために政府の補助金が計上されたため、兵力が増強されました。ひとつの直轄地(邊境州數箇から成る)に1箇守備隊司令部がおかれ、第1から第4までの4箇守備隊が編成されました。隷下に、直轄部隊として騎砲兵中隊(3箇小隊及1箇砲廠編成・騎砲6門装備)、工兵中隊(3箇小隊及1箇工兵廠編成)、各州には平時編成の歩兵聯隊(12箇中隊編成)ないし龍騎兵聯隊(12箇中隊編成、現在は乗馬獵兵)が置かれるという編制となりました。全直轄地の合計兵力は歩兵ないし乗馬獵兵聯隊10箇、騎砲兵4箇中隊・工兵4箇中隊です。それぞれの守備隊は正規軍の軍司令官の直轄部隊として、それぞれ所在の軍管區に属しています。しかし定員を満たしている部隊は少なく、募集難による兵卒の缺員があります。もともと護郷軍部隊は正規軍ではなく私設傭兵なので、その必要經費は寄附金を運用したり、警備の請負をして自前で得た収入から賄うのが原則で、聯合共和國政府の補助金は武器と備蓄用彈藥(それも二線級の拂下中古品)に限られています。練習用の彈藥、馬匹車輛、衣糧、建築費用および隊員の給料は州民の税金に頼らなければなりません。
【配置】 →top
護郷軍の各部隊は分遣隊を出して、銀行・工場など主要施設の警備を請負い、収入源の一助としています。商工業の盛んな州では、隊員の待遇が良く、定員充足率も高いのですが、そういう部隊はほんの僅かです。たいていの部隊は州内の要地に木造の粗末な砦を自力で建設し、分駐しています。砦は治安の悪い地方に置かれ、たびたび別のさらに険悪な紛争地に移動します。そのため部隊は轉々と駐屯地を変えて、ひとつの砦に長い間いることは稀です。砦には中隊規模の分遣隊が置かれるのが普通ですが、聯隊や大隊本部がある砦には2箇中隊程度がいます。さらに守備隊司令部(聯隊など各部隊を統轄する上級司令部で、将官が司令官)のある砦には、司令部直轄部隊が同居しています。それ以外の普通の砦は通常は100人くらいが砦の中で暮しており、砦からは50〜20人ばかりの小隊が出張して哨所を開設することがありました。
【砦のなか】 →top
さて新しく砦を設けるには、そこに駐屯するべき部隊が自力で建設工事をしなければなりません。先ず天幕生活から始め、近くの森に隊員が大勢で出かけて樹を伐りとって枝を払い丸太にしたものを運んできます。丸太を組合わせて粗末な防御柵と兵舎を作るのですが、兵舎は日干煉瓦を積み上げて作ることもあります。隙間風が入るので住み心地は良くありません。粘土や漆喰で目張りしたり、内装に板を張ったりして工夫しました。床は土間で、天井板は無く梁が剥き出しのままです。部隊の豫算に餘裕ができると通常の焼煉瓦に建て替えられ、床も板張となりました。電氣のきていない處では、發電機を廻すか、昔ながらのランプを燈すかします。發電には燃料が要るので、安い油を使うランプが主流です。
建物は隊本部(隊長室、将校室、會報室、當番室、信號室)や厩、車庫、工場(鍛冶場、縫工・靴工・銃工場など)、倉庫(被服、兵器、糧秣、燃料)、酒保、兵室(30人くらい収容できる)、炊事場、井戸、厠、面洗所、衛兵所(衛兵控室、營倉、面會所)、醫務室、将校用長屋、妻帯者用長屋などが營庭を囲んで配置されており、教會(兼講堂)や将校集會所(将校食堂・厨房、将校宿舎、娯樂室)のある砦もあります。どれも平屋建てです。防御柵は内側の高所に動哨用の通路板が設えてあり、歩哨がその上を歩き廻れるようになっています。しかし餘程危險なところでないと防御柵は作られず、むしろ柵というものが無い砦のほうが多いのが現状です。これは砦を広い平地の只中に建てるようにして、見晴らしが良く近寄る敵を直ぐに發見できるようにしてあるので、防御柵は無用とみなされているからです。大規模な集團で強襲してくる敵がいないため、費用節約のため自然とそう成ったのであろうと考えられます。晝夜歩哨が四周を見張っているとは云え、夜間には見えにくいだろうと思うのですが。さすがに餘程治安の悪いところでは高さ3米はある防御柵で砦を隙なく囲み、夜陰に乗じて忍び込む曲者や白晝堂々と攻撃を仕掛けてくる叛亂先住民の大集團を阻止するようになっています。しかし、たいていの砦はかろうじて營門が柱を組んで設けてあり、その横に衛兵所があるだけで、建物の隙間から勝手に出入りできます。
砦の外には演習場と中隊ごとの菜園、墓地があり、道らしきものが通っています。ここから最寄りの人家まで何十キロもあるので、兵隊に必要な酒場小屋は砦の營門近くに固って建っています。勿論美女も大勢その中に住んでいます。
【入隊】 →top
護郷軍の邊境部隊に入ろうとする者は、まず移民や外國人勞働者が多く、その理由は5年の契約期間を無事に勤めあげれば聯合共和國の國籍が取得できるからです。軍隊は國語を習得し、讀み書きが出来るようになるにはてっとり早い道と思うらしく、外地人も大勢が出稼ぎのつもりで應募してきます。國語を喋れなくても操典にある命令の意味さえ分かれば大丈夫です。兵卒の半數が外國人及び外地人です。
また虞犯少年・触法少年・犯罪少年が護郷軍を志願すれば感化院や監獄に入らなくても濟むと云う司法制度がある為、笛手鼓手など雑卒の補充には事缺きません。
邊境部隊はいつも兵員が足りないので躯軆檢査に合格すれば素性を問わずに採用してしまいます。その合格基準は正規軍に比べて格段に低く、躯長の足りない者や近視眼でも合格にしてしまいます。なかには逃走中の犯罪容疑者や脱獄犯人、借金取や秘密結社から逃げている者、大金を横領して隠している商家の番頭、喰い詰め者(失業者や年季奉公からの逃亡者、外國軍隊の脱走者)、老人や子供の浮浪者(年齢を偽るか、生年月日が自分でも不明)、異常性格者(殺人狂など)、怠け者、酔払、中毒患者、色魔、失戀者(世を儚んで入隊)、冒険愛好家、亡命者(外國で政變が起こると大量に入隊してくる)などが見受けられます。當然に偽名を使う者が多く、入隊してすぐに脱走してしまう腰掛入隊者も少なくありません。氣候が寒くなってくると浮浪者や失業者が志願して来ます。そして春が過ぎて野宿に都合の良い季節になると脱走してしまうのです。部隊から出た捜索隊に發見され連戻されると重營倉に放込まれ降等されます。然し脱走しても運悪く憲兵隊に捕まれば軍法會議で有無を云わさず有罪となり何年も衛戍監獄行きとなります。もし戰時であれば罪が重くなり、更に敵前であれば死刑になります。捕まらなくても逃げ隠れしているうちに先住民や夜盗・密輸團に襲われ、奴隷に賣られたりします。また荒野山嶽砂漠を彷徨う内に遭難したり餓死したりします。脱走も命懸けです。
内地人は徴兵年齢に達して正規軍の徴兵檢査に合格しても、護郷軍の兵隊であれば公務に關與していると看做され入營を免除されます。現役志願して護郷軍から正規軍に轉籍する者もいますが、ごく稀です。もともと世間に相容れないために世を捨て傭兵となったのですから、正規軍の郷土部隊で暮すのは何かと差障りがあるからです。護郷軍を5年以上勤めれば、自動的に正規軍の未教育第1補充兵役に編入となります。未教育とは云っても既に5年も兵隊をやってきて輕武装ながら戰闘も經験しているので、短期間の演習召集や教育召集で正規軍の重武装に慣れるための訓練を受け、すぐに既教育第1補充兵役に廻されます。若し護郷軍を除隊すれば戰時には正規軍の召集對象者となります。護郷軍は外國と戰争になっても國内防衛に専心するので前線には出ないのですが、それは建前で、實際は戰争が長引けば護郷軍すら正規軍に編入されて死傷率の高い戰闘に参加する懼れがあります。
新兵と教育掛
【軍紀】 →top
正規軍と同じ厳しい軍法が適用されますが、管區の軍法會議はあまり開かれた事はありません。所属の部隊長が自分に許された權限を使い隊内懲罰を執行して部隊内で事を収めてしまうからです。この懲罰は部隊長が決めるのですが、3メートルの深さに掘った露天の地下牢に1日1回の塩をまぶした堅麺麭と泥水だけで閉じ込めておいたり、晒し臺代わりの車輪に縛り付けておくとか、土木作業や薪取りに酷使するとか、これを何週間も続けるとか、いろいろ恐ろしい罰を施します。何日も連續して寝もやらず歩哨につけるなどは輕いうちで、完全軍装で砦の周りを晝夜ぐるぐる行軍するというのもあります。兵卒は下士と話ができますが、将校には直接に話しかける事ができません。中隊特務曹長の許可を得なければならないのです。将校から話しかけられた時や戰闘行動を取っている時には随時話かけることができます。将校は兵卒に自ら進んで口を利こうとはせず、下士を通じて意思傳達をします。こう云うところに中世以来の傭兵部隊の傳統が生きています。
被服檢査(厳格な将校)
【下士】 →top
下士は兵卒あがりで大抵は5年以上を部隊で暮してきた古参兵です。既に正規軍や外國軍隊で十分な經験を積んだ者は、選抜されて1年で上等兵や下士勤務になり、そのなかには5年以内に下士となる者もあります。なかには兵隊相手に高利貸をするのもいて、兵卒の給料日には利子を徴収します。そのような下士から依頼を受けた中隊給養掛曹長が兵隊の給料袋から利子分を豫め抜いてしまうので、貸倒れがありません。もちろん曹長は依頼者の下士から手数料を取り自分の収入にします。将校でさえ金を借りている者があります。そうやって古参下士には小金を貯めている者が多く、それを少尉の株の購入資金(護郷軍は賣官制度が生きていて、将校に任官したり上位将校の階級に進級するには前任者から士官辞令を高額で買取らなければならない)や除隊後の商賣の元手にしようとします。下士は兵舎では兵隊部屋では暮さずに、その隣にある下士室に2〜3人づつ住んでいます。特務曹長は個室を貰い、從卒をつけることができます。しかし大抵は曹長以上の下士・准士官は妻帯者で營外居住をしており、安全のため家は砦の中にあって、棟割長屋になっています。女氣の少ない邊境でありますが、兵隊どもはなんとかして将校の家の女中や洗濯請負人の洗濯婦、酒場の女給、出動先の農場・商家の奉公人などをお嫁さんにもらいます。
【将校】 →top
将校は士官學校出は殆ど居らず、正規軍を現役満期で除隊してきた1年志願兵あがりの豫備役少尉補や下士・准士官から進級してきた叩上げで占められています。外國人はいきなり将校にはなれず、5年の契約期間を兵卒・下士として勤めあげて國籍を取得しなければなりません。稀に現役を退いた正規軍の将校もいます。現役定限年齢に達する前に豫備役編入となったり、自分から辞めた者ですが、元の階級になれるとは限りません。任官する時には前任者から士官辞令を買い取らなければならないからです。階級がひとつ高くなるごとに値段が高くなっています。護郷軍には前世紀の遺物である賣官制度が生きており、少尉の株を買うには相應の資金が必要です。公定価格はなく、聯隊の格によって相場が決まるのですが、親が地主か富裕な農場主ないし商人で息子の養育資金に豫裕がなければ賄えない額です。株を買えない者は下士身分の見習士官として勤務することになります。そして中尉になる時には、またその株(中尉の任官辞令)を買取る必要があります。もっとも今の少尉の株を後任者に賣ってしまうので、資金は少し上乗せすれば濟み、支出がそう嵩張ることはありません。こうした将校連は勤めが長く、豊富な經験で敵を熟知している者が多く、その指揮が適切なので邊境部隊の強さはこのあたりにあると思われます。しかしながら将校の中には兵卒同様に酒に溺れる者、隊務不熱心でいつも部隊長におこられている者、騎士気取りの正義漢で部下の損害をものともしない者、上官に取入って部下を顧みない者、決闘愛好家、殺人狂、色情狂などがおり、その軍務以外の行動はとても常人とは思えないことだらけです。中には讀物といえば漫畫ばかり、文章の綴りが出鱈目という子供じみた者もあります。おまけに大抵の将校は自分の弱點を反省せず、兵卒とくればこれを動物同然と思って接するという中世以来変わらぬ荒っぽさです。
【訓練と使役】 →top
新兵の訓練のうち邊境部隊で最も必要なのは射撃です。しかし兵一人あたりに支給される練習用の模擬彈・實彈は部隊によって豫算が違っていますが、各隊平均すれば1ヶ月に10發ていどです。これで射撃に上達せよと云ってもなかなかそうはなりません。次に重要なのは乗馬部隊における馬ですが、こちらは陸軍省軍馬補充廠で豫め調教してある軍馬を兵隊一人づつの専用として指定されるので、そんなに苦勞ではありません。兵隊よりも馬の方が號令を熟知しており、自動的に命令された動作をとるので、新兵といえども取回しに苦勞することはありません。ただやはり相性があるので、わざと馬に振落されたりすることはあります。乗馬兵は馬の世話に時間の大部分を割かなければなりません。自分の食事や洗濯は後回しにして、馬に水を呑ませ、飼葉を与え、櫛で毛並みを整えフケを落とし、蹄を掃除し、寝藁を取換え、糞を浚いと、朝晩大忙しです。行軍と野營は實戰でいやと云うほど味わうので、特に練習はしません。うるさいのは支給装備一式を規定に従って身につけることで、内務班に帰っても整頓して保管しておくのに細かい基準があります。時々、部隊長の檢閲があり、いつも規定數の支給品を揃えて置かなくてはなりません。各部隊とも訓練には餘り熱心ではなく、それは砦に駐屯する兵隊の數が少なく、その兵隊どもは使役に出ている時間の方が多くて然も其方(そちら)のほうが訓練より重要だからです。せいぜい午後の1時間ほどを營庭の片隅や演習場で訓練に使うくらいで、2時間に増やせば使役の人數が足りなくなります。使役には通常の諸當番や衛兵勤務の他に、邊境獨特のものとして近くの森まで出掛て行って樹木を伐り丸太や薪を作る勞働、森の無い處では日干煉瓦用の粘土塊を掘出す勞働、それらで兵舎の建替や修繕・補強をする勞働、營庭の草毟り、将校集會所や将校官舎のベランダ・庭園の掃除・補修、道路・排水溝の改修、中隊ごとの菜園・家畜の世話など手間と人數の掛かる土木・造園作業があり何處からも營繕豫算が出ない以上は自力で處理しなければなりません。貧乏聯隊の小人數の砦では生活のための勞働に掛りきりで、悠長に演習をしている暇がないのです。
【糧食】 →top
兵隊の最大の樂しみは食事です。ところが軍隊のメニューは毎日同じもので、乾燥豆、塩漬肉、野菜(薯で代用可)、堅麺麭(濃い穀物粥で代用可)、珈琲(煎黒豆で代用可)乃至茶、調味料の酢と砂糖に塩が少々しかありません。ところが管區の軍司令部經理部からは正規軍の糧秣倉庫に貯めてあった餘剰の古い備蓄食糧を送ってくるので、今で云えば賞味期限どころか保存期限もとっくに過ぎていて、さすがの堅麺麭も角が崩れて石のように固まって普通の歯では噛切れず、塩漬肉は黴に覆われて緑色をし脂身は溶けて無くなっており、かろうじて豆だけが長時間を水に漬けておいて煮れば柔らかくなる程度、と云う代物です。駐屯地の地元の農家や商人から新鮮な材料を買入れると法外に高価で、隊の豫算がすぐに無くなってしまうので、軍倉庫に戰時用に備蓄してあった古い放出品をタダ同然に貰受けているのです。塩漬肉は食あたりの原因になるので元は何であったのか分からないくらいに煮沸しなければなりません。殆ど筋ばかりになった肉を豆・野菜と一緒にごった煮にし、堅麺麭は金槌で粉々に砕いて粥の材料の足しにしました。氣の利いた炊事手は砕いた堅麺麭を揚物の衣代わりに使い、あるいは砂糖をまぶした揚菓子にします。このような食事では量は規定通りたっぷりあるけれど榮養が偏るため、中隊ごとに菜園を設けて野菜や果物を作ります。訓練そっちのけで食べることに勞力を使わざるを得ないのです。また酒保には砂糖漬果物の罐詰・瓶詰や柔かい菓子、樽詰の酒精度の低い氣の抜けた麥酒を賣っているので、兵隊どもは給料をはたいてこれを買入れ、榮養の足しにしました。實際に壊血病や食當りで亡くなる者がいて、戰闘の傷や風邪にも抵抗力が低下しているので耐えることができない者が大勢います。炊事手は腕が悪いと、そのひどい味付けのせいで隊員から袋叩きに遭ったりするので、あまり成手がなく、仕方がないので兵隊に睨みの利く度胸の座った古参兵が任命されました。地方で料理人だった者がいれば、すぐ進級して将校倶樂部専属の炊事手になり、兵隊には手の届かない所で上等の料理をつくるようになります。新鮮な肉を手に入れるために将校黙認のもと皆で平服を着こんで狩獵に出かけ、獲物をごった煮にぶち込んで、あっという間に平らげてしまう行事が頻繁に行われました。兎はもとより鹿や猪などが獲れました。軍馬も倒れると、すぐにごった煮の中味に加わりました。射撃演習で標的を狙っているよりも、實益を伴う狩りに出て實彈射撃の代わりにしたほうが餘程樂しいに違いありません。中には本来は火藥庫に厳重に保管してあるはずの備蓄用の彈藥まで狩獵に使用する中隊があり、さすがにこれは問題となったことがありますが、いまだにこっそりと實行している部隊は多い様子です。
【被服】 →top
護郷軍は部隊により獨自の制服があるのが普通ですが、邊境部隊は貧乏なので正規軍拂下げの中古品を着けています。軍衣は継ぎの當った雑巾寸前のボロ服、革帯や拳銃嚢の皮革が擦り切れているのを民間仲買人の手を經て安く貰い下げてきます。長く洗濯を重ねてきたので、染色が薄くなり、ほとんど白色になっています。時には氣候が悪いと全員が私服を着こんでいる事もあります。毛皮や革手袋、頭巾、外套などは官給品が殆ど用を為なさない廃物寸前のものばかりなので、みな私物を手に入れて使用しています。そのため外見は兵隊とは思えない格好になってしまいます。目立つところに縫付けた大きな隊章と派手な色の階級章でかろうじて護郷軍部隊と判別できます。それでも足りず戰闘時には軍令に從って行動していることを明示するために中隊旗を立てます。住民や友軍から野盗團と間違われないようにする為です。この隊旗とて自家手製の場合があります。
【兵器】 →top
武装は正規軍のような重いものはなく、武装警察や憲兵に毛が生えた程度です。すなわち小銃に銃剱が基本で、歩兵は制式歩兵銃、乗馬獵兵は銃躯の短い制式騎兵銃と騎兵刀となります。邊境部隊の兵器は制式とはいえど、何十年も使込んだ中古品揃いで、摩耗が甚だしく、同じ兵器の同型番でも、それぞれに癖があって扱いにコツがいります。輕機関銃は小隊に1挺あればよいほうです。輕擲彈筒や手榴彈は必要に應じて出戰の都度支給されます。およそ重火器の類にはいるもの、重擲彈筒、重機關銃、對戰車筒、歩兵砲などは入隊以来除隊するまで見たこともない兵隊がほとんどです。乗馬・挽馬は上等なのを揃えてありますが、これは唯一信頼できる移動手段だからです。兵隊の給料よりも高価なので、大事にされます。自働車は信頼性が低く、舗装も碌にない道路や原野を走るとすぐ故障するので、これを採用する部隊は殆どありません。装甲車両は高価すぎて部隊の貧弱な財布ではとても手がでません。却って憲兵隊の方が機關銃附の装甲車や自働側車(サイドカー)、二輪自働車(オートバイ)を装備しており、機械化の面では進んでいます。もっとも憲兵は専ら舗装された州道や軍用道路の上でしか機動しないのですが。戰車などの軌条車は正規軍の兵器であって、護郷軍では装備することすら考えたことがない様子です。
【正規軍との関係】 →top
正規軍の部隊も各州に1箇歩兵聯隊が衛戍地を構えていますが、こちらは治安活動を護郷軍に任せて、自らは専ら國境防衛に専念しています。邊境の國境を超えると、そこには西はミグルシア、北はゴルゴニアといった獰猛な強國があり、機會があれば聯合共和國領土に侵入しようと狙っています。正規軍歩兵部隊はこれに對抗するために、日夜訓練に励んでいます。後方には戰車編成の騎兵師團が方面軍直轄の襲撃兵力として控えており、空中には防空管區の觀測飛行船が遊弋して、地上及び空中の監視を行っています。護郷軍もこうした正規軍の管區軍司令部に属していますが、網の目をかい潜って隠密裡に侵入してくる野盗團を装った假想敵國の撹乱部隊や密輸團を相手にしており、本格的な戰闘を目的とはしていません。また敵意ある先住民の叛亂分子の鎮壓や不法越境者の取締は専ら護郷軍の任務とされています。正規軍は混成旅團規模の國境守備隊を幾つか編成して、手薄な國境監視を強化しようと計畫していますが、先立つ軍資金が不足していて、まだ紙上の計畫でしかありません。
北帝國時代の外人部隊